ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Lark & Termite" 雑感(3)

 相変わらずカタツムリくんなので、今日は小説における意外性について。本書の場合、「すべて定石どおりの展開」で、「とてもウェル・メイドなのだが、反面、型破りな面白さはない」という印象はまったく変わらない。が、だからといって本書の価値が減じているほどではなく、こんなとき、意外性とはどこまで小説の出来を左右するものなのだろうか。
 前にもどこかで書いたけれど、ぼくが今までいちばん繰り返し読んだ作品は『武器よさらば』(といっても、中学生のとき翻訳で読んだのがほとんど)で、読んだ作品の数がいちばん多い作家はアイリス・マードック。どちらもすでに意外性はない。それなのに、『武器よさらば』は死ぬまでにあと1回は英語で読みたいし、マードックの未読の作品を思うと胸が躍る。たった1回だけ、それも遠い昔に読んだ『鐘』もしかり。要するに、わかっちゃいるけどやめられない、というやつなのだが、そういう心理が今回、どうして本書を読むうえで働かないのだろう。
 たぶん初見の場合、以前どこかで読んだことがあるパターンと思ったとたん、それがページをめくる手を鈍らせるのかもしれない。とりわけ、自分の好きな定石でなければ、「少しずつ読んでも同じだな、とつい思ってしまう」のかも。とすれば、小説における意外性とは、などとせっかく大風呂敷を広げようとしたのに、それはしょせん自分の読書体験や趣味によって決まるもの、という陳腐な結論になってしまう。本当にそれでいいのだろうか。今日は無理だが、いつかもう少しこの問題について考えてみよう。
 ともあれ、今ちょうどアメリカの田舎町に嵐が近づくシーンを読んでいるところで、それが大事件のきっかけになりそうな予感がする。意外や意外という展開もあるかもれないし、四の五の屁理屈をこねず、さっさと読みおえたいものだ。