ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Paul Harding の "Tinkers"(2)

 じつはこの本もわりと早い段階で結末の予想がついたのだが、今回はさほど気にならなかった。というより、ページをめくる手を思わずとめ、ぼく自身の人生をふりかえることが多く、それが諸般の事情に加えて読了の遅れた原因のひとつである。
 おそらく40代くらいからだろうか、親の介護や、最悪の場合には死を経験することになる。それ以上の世代で、夫婦どちらかの片親が何らかのかたちで問題をかかえていない家庭はない、というのが経験則?かもしれない。
 で、もし仮に介護施設に入っている親がいるとして、その元気だったころの姿を想起するのは当然だが、さらに時が流れ、今度は自分が車椅子の生活になったとき、あのころ自分が世話をしていた親もきっとこんな心境だったんだろうな、と実感するのではあるまいか。そして自分が死ぬとわかったとき、すでに他界している親のこと、とりわけ晩年を思い出す。本書はそんなことをしみじみと考えさせる作品である。
 その大枠の中で、「死を意識した人間ならではのディテール感覚が息づいている」。雑感の繰り返しになるが、「自分が近いうちに死ぬとわかったとき、今までの人生をふりかえるのは当然のこととして、その回想は必ずしも一貫したものではなく、それこそ路傍の花など、たまたま目にしてなぜか心に残っている細部も断片的によみがえってくるのではないか」。そういう細部を思い出すうちに、亡くなった親のことも心にうかんでくる。ふとした瞬間、親が何気なく見せた表情など、たまらなく切ないはずだと想像する。
 それは友人の場合も同じで、ぼくは最近、周辺で起きた事件をきっかけに、まだまだ人生がわかっていないあ、と自分の未熟を痛感しているのだが、未熟も未熟、ずっと若かったころに知り合った友人がとても懐かしい。あのとき、あいつはあんな顔をしていたな、と思うことが多い。さいわい何年ぶりかで再会できそうな旧友もいるので、それがとても楽しみだ。
 …なんだか支離滅裂な感想になってしまったが、要するに、これは自分の人生に思いをめぐらしたくなるような本なのである。