ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“Alone in Berlin” 雑感(3)

 やっと中盤に差しかかってきた。例によってダラダラ読んでいるが、これはかなりイケる! 恐怖の全体主義がなぜ生まれたのか、といった根元的な問題を追求する作品ではおそらくないにしても、恐怖の現実を小説の舞台として活用し、そこに登場する人物の人生を次第に浮き彫りにしながら、主筋にこまかい副筋をうまくからませたストーリー重視型の作品と言える。
 焦点にあるのは、一人息子を戦争で亡くした夫婦がナチスに対して始めたささやかな抵抗運動だ。最初は夫が単独で決意するのだが、やがて妻も協力することになる。ヒトラーの欺瞞などを訴えた葉書を少しずつ作成し、ベルリン市内のあちこちに放置、それを読んだ人々に意識改革を促すというものだが、これはひょっとしたら実話かもしれない。華々しくも何ともない地味な活動だけに、かえって小説家のイマジネーションの産物ではないような気がする。夫がこっそり葉書をビルの中に置いてくるシーンなどスリルに満ちているが、ごく普通の庶民が「犯人」なので「華々しくも何ともない」反面、リアルに描かれている。
 この抵抗運動を粉砕しようとするのがもちろんゲシュタポで、いわば探偵対犯人という図式。これにゲシュタポ内部の上下関係が加わり、現場担当の警部と部下、さらには警部と高官のやりとりなど、おなじみと言えばおなじみのシーンが続くものの、ステレオタイプ臭さはない。むしろ、本書が出版されたのが1947年であることを考えると、抵抗運動に翻弄されるゲシュタポの様子にしても、「いち早くひとつの典型を描いた先駆的な作品と言えるかもしれない」。
 今回ぼくが感心したのは、以上の「探偵対犯人」という定石に加え、これまた小説的には定石のひとつながら、犯人と勘違いされる、もしくは、犯人に仕立て上げられる小悪党のエピソードを主筋にうまくからめている点である。女たらしで強欲、怠惰で狡猾な小心者。たぶん実話ではないと思うが、こういう人物を活写するのが小説家としての腕の見せどころ。毎度おなじみのセリフだが、これからどうなるんだろう。