ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Hans Fallada の “Alone in Berlin”(3)

 ぼくにとっての連休2日目。昨日同様、昼過ぎまで「自宅残業」に励んだあと昼寝、そのあと庭の草取りに精を出した。気になる本はあるのだが、おかげでまた読書とは無縁の生活を送ってしまった。職場はいるだけでストレスになるが、家で本が読めないのもつらい。
 ということで昨日の続きを書くと、「第二次大戦中、ベルリンで実際にあった反ナチス活動を基軸に、恐怖の全体主義体制のもとで生きる人間がいかに人間としての品位と尊厳を保つかを描いた秀作」というぼくのレビューを読んだだけで、誰でも本書の「ストーリー自体は定石どおりで単純」と察しがつくことだろう。それゆえ、「ワル者同士の狐と狸の化かし合い」が小説的にますます重要な役割を果たしているのだが、終幕に入り、その「化かし合い」にもうひとつ意味があることに気がついた。つまり、「小悪党たちが醜悪であればあるほど、それとは対照的に夫妻の見事さが際だってくる」という点である。
 まあこれも定石なのだが、いくら想定内のストーリーといっても、巻末が近づくにつれ、夫妻の生き方、そして死に方にはやはり胸を打たれてしまう。実際にあった事件がモチーフという次元を越えた事実の重みに圧倒され、ぼくのように平和ボケした極楽トンボでも、「戦争と全体主義がもたらす極限状況」において「人間がいかに人間としての品位と尊厳を保つか」という問題について考えざるをえない。だからこそ、本書は秀作たりうるのである。その感動の前には、主筋や登場人物がステロタイプに近いという欠点はもはや瑕瑾でしかない。
 こんな見事な作品の英訳が遅れに遅れ、本国版の刊行から50年以上もたった去年になってようやく日の目を見た事情はわからない。どういう経路でぼくの目にとまったのかも憶えていない。もしかしたら、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーリストあたりで見かけたのかも…
 余談だが、ぼくは本書の終幕を読みながら、人と人の別れにも思いを馳せた。別れにはこれが最後とわかったうえで別れる場合と、ああ、あのときが最後だったな、とあとでわかる場合がある。大半は後者だが、本書でどちらの別離がえがかれているかは言うまでもない。「品位と尊厳」を保つには悲劇を避けて通れないのが人間の宿命なのかもしれない。