ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Barbara Kingsolver の “The Lacuna”(3)

 老後が気になる年齢になると、自分の人生をふり返ったとき、ああ、あれが分かれ道だったんだな、と思えるような瞬間がいくつかあることに気がつく。その瞬間には、まさかそこまで運命を分けようとは思いもしなかったのに…。本書における主人公の青年とトロツキーの出会いは、まさにそんな瞬間である。もちろん、青年にとって。
 しかも、この青年の場合、彼の運命はその後のアメリカ、いや世界全体の歴史の流れの中で大きく変わっていく。ただ、彼には、そして読者にも、それが運命の瞬間であったことはすぐにはわからない。それゆえ、当座はトロツキーという「世界史的に重要な人物の登場する意味が伝わってこない」ものの、やがて後半、「運命の過酷さ」が牙をむき出すことになる。これはそういう小説である。
 今の日本人も、ひょっとしたら同じような状況に置かれているのかもしれない。10年、20年、30年後にふり返ってみると、天変地異にしか思えなかった大震災が、じつはこの国の運命を大きく変える転換点であり、しかもその変動が、地震の発生以前から起こるべくして起こったもので、地震は最後の引き金にすぎなかったとさえ思えるような時代が来るかもしれない。本書を読みながら、ぼくはそんな「歴史の必然」を予感してしまった。小説の結末もろくに予想できないのにアホな話だが…。
 一方、この大変な時期に小説に読みふけり、こんなノーテンキなことばかり書いていていいのか、とも思う。ただ、本書にこういう言葉があった。'Those are the only two choices : read, or dead.' (p.613) ぼくは映画も音楽も大好きだが、もし二者択一を迫られたら…ぼくもそう答えるだろうな。