読みはじめてふとタイトルを見ると、"Chronicle of 1830" という副題がついていた。なるほど。まことにお恥ずかしい話だが、ぼくは中学、そして大学時代の記憶から、本書が恋愛小説だとばかり思っていた。いや、恋愛小説には違いないのだが、より正確には「恋愛社会小説」。つまり、個人の恋愛と、その個人が置かれた時代、社会状況との対比が本書の根幹のひとつを成している。
なんだ、そんなの常識じゃないか、という嗤い声が聞こえてきそうだが、ぼくはなにしろ昔の記憶にもとづく予備知識しかなかった。中学生といえば、恋愛部分だけ目に入っても仕方がないだろう。しかし、大学生ならもっと社会的要素に目を向けてもよかったのでは、と遅まきながら反省したが、もしかしたら当時のぼくは恋をしていたのかもしれない。フフフ。
さて、年を取り色恋沙汰に感受性のなくなったぼくは、取りかかってすぐに恋愛と社会という対比に気がついた。そこでタイトルを見返した次第である。
1830年のフランス。それはナポレオン失脚から15年後、フランス革命から約30年後のフランスということだ。Julien Sorel が生まれ育った小さな地方都市 Verrieres の人々、とりわけ、彼がやがて恋をする Mme de Renal の夫である市長の紹介あたりから、Ultra, liberal, Jacobin, Bonapartist といった言葉が飛び出し、いやおうなく当時の社会情勢、時代の空気にふれることになる。このあたり、若いときは斜め読みだったのではないか。
市長は強欲でドケチ、傲慢な俗物で、ちと類型的なキャラのような気もするが、べつに気になるほどではない。当時はこんなやつがいた(今もいるはずだが)、ということなのだろう。それゆえ登場人物はみんな、大げさに言えば時代精神を象徴する典型的な人物である、たぶん。
Julien Sorel ももちろん、その一人のはずだ。彼は貧しい材木屋の何男坊かだが、眉目秀麗にくわえて頭脳明晰。才能を買われて Mme de Renal の子供たちの家庭教師となる。とりあえず司祭になることが目標だが、ひそかにナポレオンに心酔。いずれ田舎町を脱出して出世街道を歩みたいという野望をいだいている。実際、そんな青年は数多くいたような気がする、というか、そんな気にさせられる。
とまあ、世界文学ファンなら先刻承知のことでも、とにかく恋愛部分しか目に入らなかった昔のぼくは、じつは人物造形からして社会を反映するものだったとは思いもよらなかったはずだ。おかげで今回、「なるほど、なるほど」の連続となってしまったわけだが、そこでふと思った。今の日本には、本書のように恋愛と社会を対比させた小説があるのだろうか。
(写真は、宇和島市龍光院にある修行大師像)。