ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“The Stranger's Child” 雑感 (4)

 先週ほどではないにしても相変わらず多忙。おかげで、これまた相変わらずカタツムリ君だが、ようやく第3部を読みおえた。今見ると、残りはあと第4部だけ。それなのに、ここにいたるもまだまだ「長大なイントロ」といった感じだ。はて、どこまで続くぬかるみぞ…。
 なにしろ、各部とも、終幕近くに意外な(というか、期待していた)事件が起こり、けっこう盛り上がる。で、それが果たしてどうなるんだろう、と興味がわいたところで次の部に入ると、時代が変わり、新顔が登場し、当初からの人物たちも立場が変わっている。これが今までのパターンだ。それぞれ山となる事件はまずまず面白いのだが、何だかイントロだけ読まされている感じがする。あとで簡単な後日談は紹介されるものの、いささか消化不良。それとも、いわゆる伏線なのかな。最後の第4部でぜんぶ、すっきりするんでしょうか。
 ともあれ、第3部でもまた新顔が次々に登場し、当初、その正体とそれぞれの関係を追いかけることになる。ネタをバラしてもたぶん大丈夫だと思うので書くが、時代はなんと第2部の約40年後、1967年へと飛ぶ。主な舞台は第2部と同じく Cecil の屋敷。といっても、Cecil はじつはとうに他界し(第一次大戦で戦死)、屋敷もプレップ・スクールの校舎となっている。Daphne は登場するが、彼女は今や70歳の老婦人。その誕生パーティーが主な出来事のひとつだ。
 このくだり、主人公は2人の男だろう。若い音楽教師 Peter と、Daphne の娘の夫が支店長をつとめる銀行の出納係 Paul だが、この2人を中心に、例によって視点を変えながら話が進み、上記の背景や人物関係が次第に見えてくるという展開だ。
 2人の男がどんな関係にあるか、それは「その筋の話」とだけ書いておこう。それを説明する際のように、心理描写や情景描写は依然として緻密そのものだ。緻密すぎて、時に冗漫に思えることもある。が、それが Hollinghurst の持ち味なのだろう。各部ともストーリーを次第に霧の中から浮かびあがらせるような展開と、この精緻をきわめた描写がどうやら本書の美点と言えそうだ。
 第3部では Daphne はさほど大きな位置を占めていない。むしろ、半世紀も前に死んだ有名な詩人 Cecil のほうが影の主人公と言っていいほどで、Peter も Paul も Cecil に大いに関心を寄せている。Cecil とは、いったいどんな人物だったのか。
 …例によって不得要領の、文字どおり雑感になってしまった。さて第4部、どんな話が待っているんでしょう。