ずいぶん引っぱりますが、昨日の続きを。要するに、ハンガリーにしてもリトアニアにしても、その国の歴史は、不謹慎な言い方になるかもしれないが、よろず不勉強のぼくにはどちらも小説の材料としては「新ネタ」にすぎない。それゆえ、ただ「新ネタ」であるだけでなく、それがいかに効果的に使われているか、という点もどうしても考慮せざるをえないのである。このとき、本書の場合なら、似たような題材を扱った過去のホロコースト物も、つい想起してしまう。それらと較べたとき、本書はいかに斬新なアプローチから取り組まれた作品であるのか。どれほどテーマの深化が認められるのか。
その点、これは十分水準に達した作品だと思うので、まず☆☆☆を進呈(60点前後)。これにくわえ、語りの構造や伏線の張り方など、「いくつか工夫」が「凝ら」されている点も勘案して、さらに★★を追加して70点前後としたものである。
レビューでは書ききれなかった工夫の一例を紹介しよう。ここにはジャック・フィニィの名短編集『ゲイルズバーグの春を愛す』の掉尾を飾る「愛の手紙」とよく似たエピソードが出てくる。同書を読んだことがある人なら、きっとニヤリとするにちがいない。主人公の少女が仲よしの少年からもらったディケンズの小説の露訳版に…というものである。(その後ネットで検索したところ、古書なら "I Love Galesburg in the Springtime" を入手できることがわかった。ただし、状態のいいもので5千円。迷うなあ。どうせ積ん読だろうし。だけど、久しく積ん読中のフィニイの現役版短編集 "About Time" には、肝心の 'The Love Letter' は未収録。古本でしか読めないようだ)。
- 作者: ジャック・フィニイ,福島正実
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1980/11/01
- メディア: 文庫
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むろんその場合、「大ボリューム」となるのは致し方ない。濃密な「大ボリューム」ならむしろ大歓迎。しかも、終幕以前にすでに「大ボリューム」であるなら、結びで「胸のすくような快男子」についてしっかり書きこんでも、「内容的にバランス」が「くずれる」ことはない、というメリットさえ生まれる。
さらに本質的な問題について考えてみよう。本書を読んだあと、ぼくは知人に紹介された『リトアニア 民族の苦悩と栄光』の該当箇所(99ページ以降)にざっと目を通し、まことに陳腐な形容だが文字どおり背筋が寒くなった。未読の方の感興をそぐといけないので詳しくは省略するが、要するに同書には、「ジェノサイド」という事実が生みだす恐怖が充ち満ちている。それだけではない。そこからは「ジェノサイド」の根源である人間の強烈な意志の怖ささえ感得することができる。人間とは、何と恐ろしい存在なのか。
では、さような「世紀の悲劇」をフィクション化した本書の場合はどうか。「扱われている史実そのものには決して鈍感であってはいけないけれど」、上に述べた事情で小説的現実として見れば、「あっさりしすぎている」ことが裏目に出たせいか、ぼくは正直言って『リトアニア――』ほど怖くなかった。「どれも『想定内』の出来事で、決して目新しくはない」からだ。そこでつい筆が滑り、「あの話です」などと、なまじ不勉強のくせにカッコーをつけて、「もし作者やリトアニアの人たちが読んだとしたら、『何をバカな、何をノーテンキな!』と憤慨するにちがいない」言い方をしてしまったわけである。不注意でした。
だが、「山椒は小粒でぴりりと辛い」とも言う。膨大な歴史的事実をよくぞここまでコンパクトにフィクション化した、と高く評価するむきがあっても決しておかしくない。ただ、それでも「テーマの深化」という点では「やはり、もの足りない」とだけ言い添えておこう。
…ふう、疲れました。