ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Ruta Sepetys の “Between Shades of Gray” (4)

 えらくもったいぶってしまったが、ここでようやく「ほかにもっと書きたいこと」を明らかにしておこう。それは次の2点に絞られる。
 1.この平和な国で、本書のように外国の悲惨な歴史が描かれた小説を読む意味は何なのか。また、それを点数で評価する意味とは?
 2.一般にあまり知られていない(と思われる)悲惨な歴史が描かれている点をどう評価するか。そのことだけで、小説として得点材料となりうるのか。
 どちらから書こうかな。第1点は、煎じつめると、ぼく自身の本の読み方、ひいては人生の生き方にかかわりそうだ。これはヤバイ。今日はまず、比較的簡単そうな第2点についてだけ考えてみることにしよう。
 たとえばホロコースト物なら、これはもう今さら言うまでもなく、それこそゴマンとある。それゆえ、扱われている史実そのものには決して鈍感であってはいけないけれど、小説としては単純に、その出来不出来だけで判断してもヒンシュクは買わないだろう。
 では、それが知られざる悲劇の場合はどうなのか。本書のように、ホロコーストと並んで「二十世紀の人類社会に例を見ない凄惨な計画」でありながら、明らかにホロコーストほど有名ではない「ジェノサイド」が題材であれば、そのことだけで、すぐれた小説たりうるのか。
 …という書き方からして、ぼくの立場はすでに明らかだろう。「ここではホロコーストスターリンによる弾圧を扱った小説などと同様、屈辱と恐怖、暴行、殺人、強制労働、劣悪な生活環境、むき出しのエゴ、そして協力と友情、愛情、かすかな夢と希望が描かれる。つまりどれも『想定内』の出来事で、決して目新しくはない」。
 ぼくのレビューの一節だが、それをぼくはこう結んでいる。「定石どおりながら、愛の美しさ、別れのつらさは痛切に胸に響き、作者の後記にも粛然となる。これでもっと緻密な描写だったら、と惜しまれる」。
 この最後の一文を書き添えたとき、ぼくの頭には、たまたま昨年、マイベスト10小説のひとつに選んだ Julie Orringer の "The Invisible Bridge" が思いうかんでいた。

The Invisible Bridge (Vintage Contemporaries)

The Invisible Bridge (Vintage Contemporaries)

[☆☆☆☆] 大ボリュームにふさわしい感動的な歴史巨編、傑作大河小説。冒頭からぐんぐん引きこまれ、何度も胸を締めつけられそうになりながら読み進み、深い余韻にひたりつつ本を閉じた。主題は家族の愛と絆である。その象徴が「目に見えない橋」というタイトルで、時間と空間、さらには生死の境を超えて結びついた家族の絆を指している。主人公はハンガリーユダヤ人の青年で、第二次大戦前夜から大戦中、そしてハンガリー動乱にいたるまで過酷な運命に翻弄されつづけたユダヤ人の家族の歴史が綴られる。パリに留学した青年が同じくユダヤ人の年上の女性と恋に落ちるくだりは、年齢差や家族の反対、恋敵の存在など数々の障害が立ちふさがり、まさしくメロドラマそのものだ。が、次第に戦争の暗雲が垂れこめ、やがて学生ビザの切れた青年がハンガリーに帰国したときから物語の様相は急変。酷寒のカルパチアやウクライナでの強制労働、ドイツ軍とソ連軍の攻防、ブダペスト空襲など、それぞれの局面で青年とその家族は文字どおり生死の境をさまようようになる。劣悪な環境や、人間の醜悪な利己心、非情さ、ホロコーストの恐怖など、定番の題材ではあるがリアルな描写に圧倒され、極限状況のもとで示される家族愛や同胞愛に胸を打たれる。戦況や政治情勢とともに二転三転、いや四転五転する展開も加速的に先を読みたくなるゆえんのひとつである。難易度の高い語彙も散見されるが、総じて読みやすい英語だと思う。
 …えらく引っぱりますが、数少ないリピーターの方ならご承知の事情で、今日はもうおしまいにします。