ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“Open City” 雑感 (1)

 おとといの自問のうち、2番めの「一般にあまり知られていない(と思われる)悲惨な歴史が描かれている点をどう評価するか。そのことだけで、小説として得点材料となりうるのか」という問いにたいしては、昨日なんとか自分なりに答えられたと思うが、最初の問いはむずかしい。というか、はっきりした答えを出すにはかなり時間がかかりそうだ。「この平和な国で…外国の悲惨な歴史が描かれた小説を読む意味は何なのか。また、それを点数で評価する意味とは?」
 簡単に済ませよう。ぼくはじつは "Between Shades of Gray" を読みながら、自分が「東洋の島国の、平和ボケした極楽トンボ」であることを改めて痛感せずにはいられなかった。どこかの大物政治家とちがって「天下国家のこと」なんぞ考えもせず、毎日毎日、好きな小説を読んでばかりいるサラリーマン。それがたまたま、同書のように「世紀の悲劇」を描いた作品に出会うと、ふと考える。こんなことをしていていいのか。
 そう、この「考える」という行為自体にひとつの意味があるのかもしれない。「こんなことを…」もそうだし、「人間とは、何と恐ろしい存在なのか」という厄介な問題に久しぶりに思いをめぐらすこともそうだろう。
 点数で評価する意味? そんなもの、ありません。ただのお遊びにすぎない。ただ、「お遊び」というわりには、けっこう思い悩む。そこにひょっとしたら意味があるのかもしれない。どこをどう評価して点数化するか、その作業を通じて少しずつ、自分なりの本の読み方が形成されていくようにも思う。
 …などと、「極楽トンボ」のぼくにしては珍しくあれこれ考えたのは、"Between Shades of Gray" について駄文を書きつづける一方、もっぱら電車の中で、Teju Cole の "Open City" をボチボチ読んでいたせいでもある。タイム誌やエコノミスト誌などが選んだ昨年の優秀作品のひとつだが、ニューヨークの病院で精神科医をつとめる主人公が非常に内省的な人物で、その思考モードにぼくはだんだんハマりつつある。単純ですね。