ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Tan Twan Eng の “The Garden of Evening Mists” (2)

 ああ困った! これ、〈ブログ炎上もの〉の作品だからだ。このブログはたまたま、世捨て人の自己確認が主な目的なので交信不可にしているが、さもなければ、本書に出てくる「いわゆる従軍慰安婦南京大虐殺、日本の戦争責任など、日本人にとって看過することのできない重大な歴史問題、政治問題」について何かコメントしようものなら、左右どちらからにしろ火の粉が降りかかってくるに決まっている。それをものともせず、毅然として自分の意見を述べるのが正しい姿だが、そのためにはまずしっかり勉強しないといけないし、こんな駄文ではなく、きちんと論理的に文章を綴らなければならない。ところが、宮仕えの男はつらいよ、というやつで、ぼくはそんな勉強にも論述にもさける時間がない。おもしろそうな英語の小説を読み、それについて感想を述べるだけで精いっぱいなのだ。
 月曜日に雑感を書いたときはまだ序盤だったので、「中心となる話題は収容所での体験ではな」いと報告したのだが、こんな調子で終わるわけがないと思っていたら、案の定、後半に入ってバンバン戦争の話になり、しかも本書の根幹のひとつに、従軍慰安婦の存在があることがわかった。そこで急遽、「中心となる話題は今のところ……」と書きくわえ、昨日のレビュー(一部、文言を訂正)に取りかかった次第である。
 レビューを書くとき、ぼくの頭には、『戦場にかける橋』を論じた故・双葉十三郎氏の姿勢があった。フタバさんは政治プロパガンダ映画、もっとはっきり言うと左翼映画がお嫌いな人だったらしいが、そんなプロパガンダとは無縁のデヴィッド・リーン作品に☆☆☆☆を進呈し、その理由を映画作りの観点からきちんと説明している。つまり、あくまでもウェルメイドな映画かどうか、ということがフタバさんには大切なポイントだったのである。が、作品の出来とはべつに、ぼくは『戦場にかける橋』を何度も観たいとは思わない。日本軍人の描き方が一面的なのではないか、という気がするからだ。この点、もし再見する機会があればぜひ確認しようと思っている。
 ともあれ、フタバさんにならってぼくもこの "The Garden of Evening Mists" を、これがウェルメイドな小説かどうか、「純粋にフィクションとして見る」努力をしたつもりである。するとそこに「特筆すべき点が多い」ことに気がつき、その最たる美点についてはレビューで採りあげたものと自負している。本書がブッカー賞のショートリストにのこったのも、ぼくの指摘した部分がかかわっているかもしれない。各社のオッズをまとめた Niceroods. co. uk によると第3位だし、アマゾンUKでもレビュー数18で星4つ半。世間の評価はなかなか高いようだ。
 ぼくも「純粋にフィクションとして見ると」☆☆☆★★★でもいいかな、と思った瞬間があるし、レビューの末尾に書いた理由で世評が高いことにも納得できる。だが、最終的には★を2つ削ってしまった。フィクションを支える事実らしき部分にかなり疑問があるし、ぼくはどうしても「作者の歴史観、人間観に共鳴でき」ないからだ。……長くなったので今日はもうおしまい。