"Animal Farm" の動物たちが「当然のことのように」人間の言語を有しているのに対し、本書の犬たちはアポロ神から人間の知性を授けられた結果、人間の言葉を話すようになる。と同時に、人間のようにものを考えはじめ、やがて「正邪善悪の観念をもち、おのれの正義に従わぬ者を排除し、その殺戮を 'cleansing' として正当化する」。
いささか図式的ではあるが、「人間だけが正義のために敵を殺す、という動物との違いを端的に示して秀逸」なエピソードだと思う。
たぶん小学生でも理解できることだろうが、飼い猫が家の中のネズミを捕らえて殺すのは、ネズミがご主人さまの食べ物をくすねる悪いやつだから、といって殺すのではない。猫には正邪善悪の観念はない。
ところが、人間だけが正義のために闘い、正義のために敵を殺す。テロ、革命、戦争の根底にある本質はすべて同じだ。
とそう書いたとたん、いや、革命は正しいが、戦争は正しくない、という反論が返ってきそうだが、その反論自体、正邪善悪の観念にもとづくものである。そういう観念、正義感に発して殺戮が始まり、「その殺戮を 'cleansing' として正当化する」。「そこに人間と動物の違い、人間の人間であるゆえんが読み取れる」。
こんなテーマの作品には、少なくとも現代文学ではあまりお目にかからなくなったような気がする。作者はたぶん、名作 "Animal Farm" と比較されることを承知の上で同じジャンルにチャレンジしたはずだ。その意気やよし!
(写真は、宇和島港の灯台から眺めた風景。映画『南海の狼火』の出だしで、小林旭はなぜかこの海から宇和島にやって来た)。