ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

ぼくのタチくん

 きょうの午後、うちの愛犬タチくんが死んだ。6月末に突然けいれんを起こしたあと、ずっと半身不随。人間でいえば90歳くらいの老犬だった。「お手!」と声をかけ、しばらくしてようすを見たら息絶えていた。いつものように手を上げられなかったタチは、『あしたのジョー』の最終場面のジョーさながら、顔にうっすら笑みを浮かべていたような気がする。
 たまたまこの3ヵ月ほどのあいだに、犬が登場する小説を2冊読んだばかり。これもなにかの巡りあわせだったのか。以下、レビューを再録しておこう。

[☆☆☆★] アポロ神とヘルメス神がトロントのバーで人間性について話しあい、動物が人間の知性をもてば幸福になるかどうか賭けをする。さっそく15匹の犬で実験開始、犬たちはひとの言葉で会話するようになる。この着想はおもしろい。やがて犬たちは、犬らしく生きる道を選ぶ守旧派と、変化した現実を受け容れる新思考派に分裂、守旧派による殺戮がはじまる。この点、人間だけが正義のために敵を殺す、という動物とのちがいを端的に示して秀逸。厳しい階級序列とそれにたいする反発しかり。帰らぬ主人を本能で待つのか、正しい行為だから待つのかと考えながら五年も待ちつづける犬の話は泣ける。授かった知性を私利私欲のみに活用する犬や、詩作に興じて守旧派に嫌われる犬も、いかにも「ひとらしい犬」として存在感を発揮。しかし結局、人間の知性は犬たちに幸福をもたらすものとはかぎらない。当然の帰結であり、残念ながら人間性にかんする目新しい指摘はどこにもない。上の殺戮にしても背筋の凍るような話になったはずだが迫力不足。知性が危険な道具となりうる点をもっと掘りさげるべきではなかったか。[☆☆☆★★] 途中でやっと気づいたのだが、タイトルは四季のもじり。初老の男が犬と出会って別れるまでの一年間を綴った四季録である。ひととペットの交流というと一定の図式を連想するが、本書は感傷を適度に抑制。テンポのいい実況中継ふうの文体で男の目から日常のできごとや風景を描き、そこにさりげなく犬を登場させる。身体の不自由な独身男は変人扱いされ、他人との接触を極力避けている。犬も片目で醜い顔。似たもの同士の飼い主と犬で、男は次第に犬に愛着をおぼえる。そこにいり混じるのが男の少年時代からの回想で、母親の記憶はなく、父親から愛情をそそがれたこともない。そんな孤独な人生と、犬とのふれあいを物語る時間と場面の転換が鮮やかだ。男が犬ともども車上生活をはじめる夏以降はロード・ノヴェルで、テーマは心の彷徨の旅。ひと目を避け、社会から逃れつづける男の過去と現在のなかで犬が活発に動きまわる一方、行間から静かな深い悲しみが伝わってくる。ペットとの交流物語の定型をやぶった佳篇である。