ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Kamel Daoud の “The Meursault Investigation” (4)

 またまた厄介な問題に首を突っ込んでしまった。まず、前回のあまりにもラフすぎる点を補足しておこう。「神なき不条理な時代には不条理な殺人が起こる」。では、信仰の篤い時代には不条理な殺人は起こらないのか。もちろん、そんなことはない。いつの時代でも「恣意的で意味のない」、たとえば無差別殺人のような事件は起きているものと思う。
 ただ、法律だけでなく宗教による縛りのあるほうが件数は少ない、とだけは言えるかもしれない。キリスト教では「汝殺すなかれ」というし、キリスト教ほど厳しい戒律のない仏教でも殺生を禁じている。"The Meursault Investigation" によるとイスラム教も同じようだ。コーランには 'If you kill a single person, it is as if you have killed the whole of mankind." と書かれているのだという(p.91)。してみると、「汝殺すなかれ」に近い教えがイスラム教にもあるのかもしれない。
 さて、パスカルは『パンセ』にこう書いている。「友よ、もし君が(川の)こちら側に住んでいたとしたら、僕は人殺しになるだろうし、君をこんなふうに殺すのは正しくないだろう。だが君は、向こう側に住んでいる以上、僕は勇士であり、これが正しいことなのだ」。「われわれが見る正義や不正などで、気候が変わるにつれてその性質が変わらないようなものは、何もない。緯度の三度のちがいが、すべての法律をくつがえし、子午線一つが真理を決定する。数年の領有のうちに、基本的な法律が変わる」。「川一つで仕切られる滑稽な正義よ。ピレネー山脈のこちら側での真理が、あちら側では誤謬である」。(前田陽一・由木康訳)
 "The Meursault Investigation" では、あるフランス人を殺害した主人公 Harum に対し、尋問にあたった将校は、「同じ人間を平時に殺せば不正義だが、戦時に殺せば正義」という趣旨の発言をする。上の箴言と軌を一にしていることは明白だろう。
 なぜ正義は相対的なものなのか。この問題について深入りすると、いくら時間があっても足りなくなる。例によって大ざっぱな話で済ませよう。(某先生のお叱りの声が聞こえてくる)。まずひとつには、上の箴言でも将校の発言でも、そもそもそこで扱われている正義自体、地上の相対的正義である。時代や国などによって変化する社会正義、法的正義、さらには政治的主張にもとづく正義なのだ。
 けれども一方、天上の絶対的正義もまた実質的には相対化してしまう、という厄介な問題がある。宗教戦争がいい例だ。テロと反テロ戦争の負の連鎖もそうかもしれない。
 なんだか "The Meursault Investigation" からだんだん話題がそれてしまった。とにかく本書の場合、正義の相対性は不条理な現実の一部として描かれている。この問題は Camus の "The Stranger" には出てこなかったのではないかしらん。新機軸として高く評価したい。
 一方、Harum は神を信じていない。そのことが本書における不条理と表裏一体となっているのは、"The Stranger" の Meursault の場合とほぼ同様である。ただし、あちらほどの意識的な整合性は認められないように思う。そこが物足りない。
(写真は、宇和島市来村(くのむら)川の河口付近から眺めた市内風景)。