ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Robin Robertson の “The Long Take”(2)

 注文している Esi Edugyan の "Washington Black" がまだ届かない。ゆえに暫定的だが、前にも書いたとおり、今年のブッカー賞レースは、本命 "Overstory"、対抗 "Milkman" というのがぼくの予想。ただし、人間性にかんする洞察の深さという点では後者のほうが上回っているので、順位はいますぐ入れ替えてもいい。
 実際、現地ファンのあいだでも "Milkman" が1番人気のようだ。が、2年連続してアメリカ馬に優勝をさらわれてしまったので、今年こそ地元産に奮起してもらいたいとの願望があるかもしれませんな。ひょっとしたら選考委員諸氏もそう考えている、なんてことはないでしょうね。
 では穴馬はというと、この "The Long Take" あたりはどうだろう。ぼくの採点は辛めだけど、パドックで見た馬の仕上がり具合でよかったのは、「全編をひとつの長大な散文詩とも読める工夫」、第二次大戦直後の「フィルム・ノワールを実況中継ふうに紹介するレトロ感覚」。
 後者の例としては、名画「M」の話題が出たり、主人公のウォーカーがロスやシスコで映画の撮影現場に出くわしたり、新聞記事でボギーやロバート・ミッチャムの名前を見かけたり。
 それから、ミステリ・ファンのためにハメットやチャンドラーの名前を出したり、ジャズ・ファンのために、デクスター・ゴードンアート・テイタムの生演奏をウォーカーに聴かせたり。アート・テイタムならぼくもぜひ聴きたかったですな。
 というわけでサービス満点の舞台設定なのだが、こうしてレトロな例を挙げてみると、ちと、あざとい商法のような気もする。それよりやはり、本書の最大の売りは「心の影、歴史の影、都市の暗部を見つめる…詩人の仕事」でしょう。「ウォーカーの傷心がしみじみと伝わってくる」点に感銘を覚える読者もいるのでは。
bingokid.hatenablog.com
 ただ、ぼくはあまりいい仕事だとは思わない。ひとつには、「歴史にはつねに光と影がつきもので、光だけ、影だけが存在するということは決してない」からだ。どんな人間にも長所と欠点があるように、人間の行為の積み重ねである歴史にも、というのが歴史の常識だと考えます。
 ただこの常識、どこかの東洋の島国では認めたがらない人もたくさんいて、その隣国の人たちも…おっとっと、つい脱線するところでした。とにかく Robin Robertson によれば、たとえばノルマンジー上陸作戦など「戦争の残酷さ、悲惨さ」の極みでしかない。
 しかしそれは一面の真実だ。反面、「ユダヤ人の虐殺を中止させる手段として戦争以外に何があったのか」。人殺しをやめさせるためにも人殺しをしなければならない場合がある、という悲しい現実こそ「歴史の影」の最たる例のひとつではないだろうか。If you are not prepared to take life, you must often be prepared for lives to be lost in some other way.(George Orwell 'Reflections on Gandhi' in "The Collected Essays, Journalism and Letters 4" p.529 Penguin Books)
 その点に目配りのない本書は、せいぜい穴馬どまりでしょうね。
(写真は、愛媛県宇和島城と市街。佛海寺の裏山から)