ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Paul Murray の “The Bee Sting”(3)

 正月太りがつづいている。スキーは足腰の運動になったはずだけど、そのあと食べすぎたのがいけない。今月ももうなかばだというのに、まだ身体が重く、先週もきのうもジムでろくに走れなかった。
 "Jane Eyre" のほうも slow(-and-steady-wins-the-race)ペース。邦訳のことは忘れ初見のつもりで読んでいる。その後また気のついた点もあるけれど、それをまとめるより、そろそろ表題作の落ち穂ひろいを締めくくっておかないとマズい。"Jane Eyre" とちがって、意図せず忘れそうになってきたからだ。

 裏話こそあるもののタイトルの「蜂のひと刺し」事件をはじめ、本書の美点のひとつはコミカルな場面が多いこと。これがとりわけ前半、大作の長さを感じさせないゆえんである。
 もうひとつの美点は構成の妙だ。上の事件がさらっと紹介されたあと、事件関係者およびそのまた関係者というか、アイルランドの田舎町に住む一家の面々が交代で主人公となり、それぞれ面白おかしい青春小説およびホームドラマが展開される。
 やがてそれをひとつに集約したのが事件の裏話。ここまでがいわば過去篇で、そのあとこんどは現在進行形で物語が進む。このとき、「紆余曲折を経て結ばれた男と女がふたたび嵐に見舞われ、その嵐が、もうけた子どもたちの青春の嵐と重なる。そしてじっさい終幕で」は、自然現象である嵐も吹き荒れる。座布団三枚!
 ただ、長すぎる。かいつまんで「構成の妙」を紹介したが、さらにまとめると「総合家庭青春小説」。総合というのは、登場人物をぜんぶひっくるめたもの、という意味だ。その細部がほんとうにこまかくて、それが後半、コミック・リリーフの減少とあいまって、せっかく展開はいいのに長さを感じさせる。座布団、一枚持ってって!
 ではこの長さ、いったいどんなテーマを支えているのだろうか。「蜂に刺された」美人ママの夫 Dickie が幕切れでこう述べている。The world is how it is. That's not your fault. You can only think about your family. Do your best to protect them from the worst of it. And when the world breaks through―make sure that they don't suffer.(p.641)
 テーマというかメッセージというか、この大作を読んで心にひびいたセリフはこれだけだった。しかも、「世界の状況がどうあろうと、ひとは愛する家族を守るだけというテーマも感動的ではあるが、本書の長さを感じさせないほどではない」。もっと圧縮して書けなかったのかな。座布団もう一枚持ってって!
 The world is how it is. ってところにウクライナ問題が読み取れるような気もするけれど、たぶん牽強付会でしょう。一方、Paul Murray の旧作 "Skippy Dies"(2010 ☆☆☆☆)のほうは、べつにコジつけなくてもスケールの大きな作品だった。

 同書は2010年のブッカー賞一次候補作。「人生経験の場、教育現場としての『いまそこにある』学校を主な舞台とすることで、学校がいわば現代社会の縮図、いや小宇宙とさえ化した『総合学園小説』とでも呼ぶべきもの」で、「混迷する現代の象徴ともいえるような悲喜劇である」。
 これが一次候補作で、表題作は最終候補作。ちなみに、2010年の受賞作は "The Finkler Question"(☆☆★★)だった。

 凡作に栄冠をさらわれた "Skippy Dies" だったが、もし去年の候補作だったらひょっとして、とラチもないことを空想してしまった。

(新年にあたり、気を引き締める意味でベートーヴェンを聴きはじめた。ピアノ・ソナタは全集盤だけでも十組ほど架蔵しているが、まず手が伸びたのはこれ)

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集Voi.1(初回限定盤)(SHM-SACD)