ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

2010年ブッカー賞ロングリスト候補作「面白度」ランキング(暫定版)

 今年は珍しく、ショートリストに残らなかった候補作を5冊も読んだので、ロングリストだけの「面白度」格付け遊びをしてみよう。個人的には、上位2、3作くらいはショートリストに選ばれてもよかったのではないかと思っている。レビューはすべて再録である。まだ2冊読み残しているが、ほかに気になる本があるので決定版はまたのちほど。
1."The Thousand Autumns of Jacob de Zoet" David Mitchell

The Thousand Autumns of Jacob de Zoet

The Thousand Autumns of Jacob de Zoet

  • 作者:Mitchell, David
  • 発売日: 2010/05/01
  • メディア: ペーパーバック
[☆☆☆☆★] いささか度を超した細部描写、ダイグレッションの連続かと思える筆運び、快調になってからも整合性を疑わせる展開と、いくらでも重箱の隅をつつけそうな本書だが、そうした欠点らしきものを補って余りある美点がある。おのれの信念を貫きとおす人間の見事さ、自己犠牲の美しさに理屈ぬきに感動を覚えるからだ。それは現代人への警鐘でさえあるかもしれない。現代は価値基準が曖昧で混沌とするなか、立身出世や私利私欲に走る一方、美辞麗句をならべてニセの処方箋を売りつける手合いさえいる時代である。そう考えると、本書の舞台は江戸時代の長崎出島だが、これは現代の世相を反映させながら、現代人が忘れてしまった生き方を巧みに小説化した作品とも言えるのではなかろうか。この観点から冒頭で指摘した「欠点」をふりかえると、じつはそれが必ずしも欠点とは言えず、ミッチェルが十分に計算したうえでの文体や構成、展開、あるいは人物造形であったことに気がつく。たしかに冗長で退屈なくだりはある。が、それがないと単純な話になってしまう。悠々たるペースに我慢してつきあっていると、中盤あたりから次々と畳みかけるような物語的要素に圧倒される。息づまるようなサスペンスに満ちた冒険小説、現代のカルト教団を思わせる一派を描いた伝奇小説、すさまじい砲撃シーンが圧巻の戦争小説。そして何より、信念を貫き、他人のために尽くす人間の姿に感動する。その信念における日本人と西洋人の違いにまで踏みこんであれば申し分なかったのだが、洋の東西を問わず自己犠牲とは美しいものであり、作者はその点に的を絞ることによって本書全体に整合性をもたらしている。途中の疑問は杞憂に過ぎなかったのである。
2."Skippy Dies" Paul Murray
Skippy Dies

Skippy Dies

  • 作者:Murray, Paul
  • 発売日: 2010/02/04
  • メディア: ペーパーバック
Skippy Dies

Skippy Dies

  • 作者:Murray, Paul
  • 発売日: 2010/08/31
  • メディア: ペーパーバック
[☆☆☆☆] 学園物といえば青春小説と相場が決まっていて、たしかに本書でも青春の嵐が吹き荒れている。が、これは教師と生徒それぞれの立場から学校生活と私生活を描き、人生経験の場、教育現場としての「今そこにある」学校を主な舞台とすることで、学校がいわば現代社会の縮図、いや小宇宙とさえ化した「総合学園小説」とでも呼ぶべきものだ。孤立、挫折、自己喪失、絶望、過去のトラウマ、良心の呵責、一時の激情、政治的野心、偽善と自己欺瞞…ここにはありとあらゆる負の感情が渦巻き、それがときに猛烈な高ぶりを見せ、生徒も教師も大いに揺れ動く。それは同時に、純真無垢な心がひどく傷つきながらも、かすかな希望をいだき、充実した人生を求めてやまない証左でもある。冒頭、ドーナッツ屋で少年が突然死亡、その死にいたるまでの経緯が次第に明らかにされ、死後に生じたさまざまな余波が描かれるという展開だが、そのかんユーモラスな授業風景、少年が在籍していたダブリンの名門男子校と隣りの女子校の合同ダンス・パーティーに代表されるドタバタ狂騒劇、あるいは青年教師が演じるラブコメディーなど、当初は軽快なノリだが、次第に上述の感情がヒートアップ。やがて「意識の流れ」の技法まで駆使され、現実と幻想が交錯するマジック・リアリズムの世界にさえ近づいていく。ドラッグや不良グループ、パッヘルベルのカノン、地球外知的生命体や死者との交信、第一次大戦の秘話など題材も多岐にわたり、そこに定番の恋愛や友情のもつれ、親子の断絶などがからむ。総じて混迷する現代の象徴とも言えるような悲喜劇である。英語は難解というほどではないが、語彙レヴェルはかなり高い。
3."The Slap" Christos Tsiolkas
The Slap: A Novel

The Slap: A Novel

[☆☆☆★★] 家庭小説のさまざまな要素を集めた大伽藍のような作品だ。主な舞台はメルボルンギリシャ系の一家がもよおしたバーベキュー・パーティーで大人が幼児をひっぱたくという事件が発生。その余波が広がる中、8人の当事者、目撃者が交代で主役をつとめながら、今までの人生や現在の生活、家族、友人たちとの交流を再点検、総点検する。親子や夫婦、嫁と姑、恋人や友人同士などの衝突と和解、妥協が次から次に繰りだされ、よくまあこれだけ多くの人物を自在に動かし、いろいろな関係を複雑に絡ませていることかと感心する。リレー式に交代する主役が老若男女ということで、老人の孤独、若者の恋愛やイニシエイション、中年の不倫、キャリアウーマンの仕事の悩み、若い親の人間的な未熟ぶりなどに焦点が当てられ、実質的には長編というより短編集のおもむきだ。それぞれの衝突や対決はリーガル・サスペンスも混じるほど波乱に富んでいるし、適度に濡れ場もあってサービス満点。どのエピソードも日常茶飯事なのに、無類に面白い読み物に仕上がっている点がすばらしい。が、「ひっぱたき事件」をはじめ、読者の胸を打つような人生の大事を扱ったものではない。小説とは小さい説のこと、と割り切って楽しむべき作品である。英語はおおむね標準的でとても読みやすい。
4."Trespass" Rose Tremain
Trespass

Trespass

  • 作者:Tremain, Rose
  • 発売日: 2010/03/04
  • メディア: ペーパーバック
[☆☆☆★] ヒッチコックが存命なら食指を動かしたかもしれないミステリ仕立ての愛憎劇。冒頭は南仏の片田舎。孤独な少女は小川で何を見たのか? 一転、ロンドンでアンティークショップを営む老人が登場。昔は羽振りがよかったが今や落ちぶれ、姉とその友人の住む南仏で余生を過ごそうと家を探しはじめる。当地では自堕落な中年男が亡き父親の屋敷に住み、バンガローには男と何やら確執のある風情の妹が。そこへある失踪事件が発生…。単純な人物関係の中で複雑な心理が交錯し、次第に隠微な禁断の世界が広がっていく。前作 "The Road Home" と同様、トリメインの小説作りは堅実そのもので、存在感のある人物をしっかり造形し、男女の情愛やマザーコンプレックス、姉の保護本能など、陰翳に富んだ心理や感情をそれぞれ入念に描きながらドラマの流れを確立、次第にミステリアスな主筋へと絞りこんでいる。本質的にはメロドラマだが、牧歌的な農村風景の中で繰りひろげられる禁断の愛憎劇ということで光と影のコントラストが鮮やかだ。英語は平明で読みやすい。
5."The Betrayal" Helen Dunmore
The Betrayal

The Betrayal

  • 作者:Dunmore, Helen
  • 発売日: 2010/04/29
  • メディア: ペーパーバック
[☆☆☆] スターリン体制末期のレニングラード。病院に勤務する優秀で誠実な小児科医が、同僚の依頼で秘密警察高官の息子を診断したことから、とんでもない悲劇に巻きこまれる。…という発端のエピソードを読んだだけで、その後の展開と結末までおおよそ見当のつく定番の物語。当時の医師が陰謀を企てたかどで次々に逮捕されたのは史実らしいが、その事件を初めて知らされても、さもありなんと思うだけで意外性に欠ける。ここにはドストエフスキーザミャーチンオーウェルなど、過去の輝かしくも暗い「全体主義小説」の歴史に何も付け加えるものはない。とはいえ、神ならぬ医師は万人を救えるわけではなく、その処置に疑念をいだく患者の家族もいる。この医師の倫理の問題を恐怖政治にからめた点が目新しいかもしれない。夫を気づかう身重の妻の物語が平行して進み、こちらは典型的な家庭小説。切ない一瞬もあるが、逮捕と投獄の主筋同様、本質的にはやはり想定内の出来事にとどまっている。英語はごく標準的で読みやすい。