ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Vincent Delecroix の “Small Boat”(1)

 きのう、今年の国際ブッカー賞最終候補作、Vincent Delecroix の "Small Boat"(2023, 英訳2024)を読了。Vincent Delecroix(1969 - )はフランスの哲学者、作家で、"Small Boat"(原題 "Naufrage")は2023年のゴンクール賞一次候補作でもあった。さっそくレビューを書いておこう。

[☆☆☆★★] "white lie" という英語がある。罪のないうそ、方便としてのうそであり、うそも方便といえば日本人にもピンとくる通念だ。われわれの日常には多少なりとも「白いうそ」で成り立っている部分がある。が、切羽のさいはどうか。死を目前にした救いようのない人びとには、なんと声をかけたらいいのだろう。2021年、イギリス海峡で実際に起きた海難事故をもとにした本書では、ゴムボートでイギリスへ渡ろうとした多数の移民たちが死亡。このとき連絡をうけたフランス沿岸警備隊の女性隊員「わたし」は警察から、まず、彼らを救えたのではないか、という判断ミスにたいする法的責任と、ついで、正しい声かけをしたのか、と道義的責任を追求される。第一の問題については早い時期から争点が明らかになるものの進展せず、いわば堂々めぐり。業を煮やした担当の女性警部が隊員の人格を疑うあたりから、人道の美名のもとに法と道徳を混同するヒューマニズムの偽善が浮き彫りにされる。が、社会批判はさておき作者は、警部と隊員の外見がそっくりという記述どおり事実上、自問自答。第二の問題、すなわち「不都合な真実」を告知すべきか、それとも「白いうそ」をつくべきか、と考えをめぐらせる。ほかにも、良心とはなにか、推定無罪とは、などと抽象的な思索が錯綜。いずれも明快な答えのない問題だけに後味のすっきりしない点が惜しまれる佳篇である。