ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Ishamael Beah の "A Long Way Gone"(承前)

 最新のアレックス賞受賞作 "A Long Way Gone" の結びには、著者の Ishamael Beah が聞いた話として、こんな物語が紹介されている。…ある猟師が猿を殺そうとしたところ、その猿は猟師にこう言った。「もしおれを殺したら、あんたのお母さんが死ぬことになるぜ。だけど、おれを殺さなかったら、親父さんが死ぬんだよ」。そして語り部いわく、「もしおまえたちがその猟師だったらどうするかね」。この問いを語り部は一年に一回、村の子供たちに投げかける。著者をはじめ子供たちは知恵を絞ったが、「正しい答えはなかった」。猿を殺しても殺さなくても誰かが死ぬことになるからだ。ある晩、子供たちはこう答えた。「鹿とか、ほかの動物をとればいいさ」。「その答えではだめだ」と語り部は言う。「これは、猟師がもう鉄砲をかまえていて、どっちにするか決めないといけないという話だからな」。
 この物語が全編のテーマを象徴していることは、これが末尾に位置している点からしても明らかである。上の問いが「正しい答えのな」い道徳的難問であることは言うまでもないが、実際、著者が体験した戦争とは、「殺すか殺されるかというルール」しかない、つまり正解のない世界だったのだ。
 コンラッドの『ロード・ジム』について書いたことをふたたび引用しよう。「戦争を始めとする極限状況に陥ったとき、人にできることは限られている。百パーセント完全な解決法などありえない。それどころか、後で後悔する選択肢を強いられることも多々あるのではないか。自分の答えが正解ではないと知りつつ、あえてその決断に踏み切らざるを得ない場合もあろう」。
 こういう道徳的難問は実は、とうの昔にベルジャーエフが『人間の運命』の中で指摘していることである。「『残酷であってはならない』と命じる掟は、われわれが一つの価値をえらんで他の価値を捨てるにはどうしても『残酷にならざるをえない』ということに気づいていないのである。また『殺してはいけない』と命じる掟は、この世から殺人をなくすために、また人類にとって最も価値あるものを守るためにあえて人を殺さなければならない場合があることを知らないのである」。
 ぼくは上の物語を読んだとき、まっ先にこのベルジャーエフの言葉を思い出した。昨日の日記でも紹介した某図書館の副館長によれば、「戦争という極限状態のなかで、人々は」「『生命を捨てる価値のあるものがある』という考え方」と『人の命ほど大切なものはない』という考え方」「の狭間で悩むことになる」のだそうだが、この副館長は、戦争においては、大切な人の命を守るためにも人を殺さなければならない場合がある、というジレンマや、「殺すか殺されるか」、自分の命を守るのか相手の命を守るのか、という道徳的難問にたえず直面し、その判断を瞬間的に要求されることにはふれていない。けれども、修羅場をくぐり抜けたイシュマエル・ベアは、まさしく人間の悲劇的な現実を痛切に感じとっている。"A Long Way Gone" が秀作であるゆえんである。
 ただし、将来もし本書が翻訳されたとしても、日本では、ぼくが今まで書いてきたような点からは賞賛されないだろう。国連の国際子ども会議にシエラレオネ代表として参加した少年イシュマエルは、このようなスピーチを発表している。「ぼくが自分の経験から学んだのは、復讐はよくないということです。ぼくは家族を殺された復讐をするため、そして生き延びるために軍に入りましたが、そこで身にしみて感じました。もし復讐をすれば、やがてほかの人を殺すことになり、その家族が復讐を求めるようになるでしょう。それから復讐、復讐、復讐がおわることは決してないでしょう……」。また著者は、上の寓話の問いに対する最終的な答えとして、こういう言葉で本書を締めくくっている。「もしぼくがその猟師だったら、ほかの猟師をぼくと同じ困った目にあわせないように、猿を撃ち殺すだろう」。
 この二つのメッセージは、憎悪の連鎖を断ち切れということだ。ぼくはそういう立場があっても当然だと思うし、断ち切れるものなら断ち切ったほうがいいとも思う。そしてこの主張は、日本のように平和な国に住む者にとっては大変耳に心地よいものだ。悲惨な戦争を体験した人間の生の声として、おそらく大いに喧伝されることだろう。
 だが、著者自身の答えもまた正解ではないことは明らかである。問いの前提に従えば、猿を殺せば母親を殺すことになるからだ。事実、国連の会議で上の意見を発表した著者は帰国後、ふたたび戦禍に巻きこまれ、今度は少年兵として戦闘に参加することを避け、隣国ギニアに脱出している。つまり、「殺すか殺されるか」という現実そのものは何も変化していない。ただその現実から逃れたというだけに過ぎない。むろん、ぼくは著者の行動を非難しているのではない。それどころかぼく自身、同じ立場ならきっと逃げたに違いないと思う。ぼくが言いたいのは、ベルジャーエフが指摘しているような道徳的難問は未解決のままである、ということなのだ。
 以上、この "A Long Way Gone" はその豊かな物語性もさることながら、人間の真実を明示している点で非常に優れた作品である。さすがアレックス賞、やっぱりアレックス賞だ!