Joseph O'Neill の "Netherland" を読んでいて、ふと思い出した詩がある。木山捷平の有名な詩、「五十年」だ。
濡縁におき忘れた下駄に雨がふつてゐるやうな
どうせ濡れだしたものならもつと濡らしておいてやれと言ふやうな
そんな具合にして僕の五十年も暮れようとしてゐた
で実際、来し方をふりかえると、木山捷平のこの詩に示されているような人生観は、いまのぼくの理想に近い。しかしぼくはまだ、これほど飾り気のない、いわば自然体で生きることができない。あれこれ、くだらないことを考えすぎる。というか、雑念しか頭にない。
木山捷平は大好きな作家だ。尋常小学校の生徒が出てくる『氏神さま』所収の短編など、細部こそ異なるものの、大昔聞かされた父(この記事を書いた三年後に他界)の子ども時代の話とよく似ている。もう十年以上も昔の読書体験だが、読んでいる最中からとても懐かしかったおぼえがある。 あんな教室、こんな田舎の村。ぼく自身、田舎育ちだけに、あの世界から「思えば遠くへ来たもんだ」と慨嘆してしまう。拙句だが、「わかれ道またまちがへて老ひの冬」という心境である。