ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Julian Barnes の “The Sense of an Ending” (3)

 本書を読みはじめてからしばらくして、やられたね、と思った。小説オタクなら誰でも一度くらい、自分で小説を書いてみたくなるものだが、これ、ぼくが最近、いちばん気になる問題をみごとにフィクション化していて、ああ、こんな小説が書けたらなあ、でも無理だろうな、こうなったらもう、ひたすら本を読むしかない、とあきらめた。その問題とは、いかに老後の人生を送るべきか、である。
 もうすでに生き甲斐を見つけている人ならべつだろうけど、ぼくのように、フーラリ、フーラリ生きていると、この問題、かなりシビアです。先日、ぼくなんかと違って、毎日はるかに真剣に生きているはずの友人から、「残りの人生をどんなふうに過ごすのがよいか、よく考える」というメールをもらったときは、かなりショックだった。え、○○さえそうなんだ。
 And that's a life, isn't it? Some achievements and some disppointments. (p.56)
 I had lost the friends of my youth. I had lost the love of my wife. I had abandoned the ambitions I had entertained. I had wanted life not to bother me too much, and had succeeded―and how pitiful that was. Average, that's what I'd been, ever since I left school. ....Average at life; average at truth; morally average. ....'You just don't get it, do you? But you never did.' (pp.99-100)
 ぼくは小説を読んでいて、たまに心にのこるフレーズがあると、読了後にそれをパソコンに打ちこんでいるのだが、本書の場合、「思わず、ううむ、とうなってしまうくだりがいくつもあ」って、いちいち記録するのが面倒くさいほどだった。上はその2例にすぎない。
 最後の引用句は、主人公の老人が昔の恋人からもらったメールの一節で、何も文脈がないので唐突に思えるだろうが、「ちっともわかってないのね」というのは、ぼく自身にまさしく当てはまるセリフ。ガックリきました。
 ともあれ、今までいいことがあり、わるいことがあり、要するにごく平均的な人生を送ってきた一方、自分は何もわかってない、という自覚のあるぼくにとって、これは「かなりシビア」な本だった。ただ、ひとつだけ本書を読んで、よし、これからはそうしよう、と思ったこともある。とにかく「静かな人生の省察に満ちあふれ」た作品です。