ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Sunrise" 雑感(2)

 "The Shack" の「情緒的な弁神論」にはいささか鼻白んでしまったが、相変わらずボチボチ読んでいる Karen Kingsbury の "Sunrise" は、同じ「愛と救済の物語」でも、救済に余計な理由づけがないぶん安心して読める。ぼくはキリスト教信者ではないが、さりとてマルクスのように「宗教は民衆の阿片である」と言い切る自信もないので、多少は神の存在が気になる。まあ、それだけ年を食ってしまったわけだ。
 それゆえ、「神仏に頼らない魂の救済なんぞあるのだろうか」と思ったりするわけだが、この "Sunrise" におけるヒーリングはキリスト教の信仰が大前提。文字どおり「信じる者は救われる」という世界で、その世界に住む人なら大いに満足できる作品となっている。これは決して皮肉ではない。信者でないぼくでさえ「安心して読める」のだから、信者ならなおさら楽しいだろうな、と羨望の念を覚えるくらいだ。
 が、上記の長所はじつは、そのまま本書の欠点とも言える。前回の雑感で「登場人物の性格にしろ何にしろ、新鮮味が薄」く、「作家の手の内が読めると興ざめしてしまう」と書いたとおり、ここではすべてがキングズベリー作品のパターンどおり展開していく。と、エラそうなことを言ってしまったが、彼女の作品を読むのはこれで2作目。それでもパターンが目につくのだから、ほかの作品も推して知るべしだろう。
 そのパターンの詳細に言及すると、最後に書こうと思っているレビューがネタ切れになってしまうので今日は控えるが、本書の定型化、様式化をもたらしている最大の要因は、何と言ってもやはり、これが「キリスト教の信仰が大前提」の物語だからである。その大前提ゆえに、それをぶち壊すような設定は絶対に出てこない。従って、「安心して読める」が、お決まりの話になってしまうわけだ。
 「安心して読めるが、お決まりの話」――それはまた、何であれシリーズ物に共通する長所と欠点でもある。その通弊から脱したシリーズ物なんて何かあったっけ。ううむ、エンタテイメントだが、ご存じディック・フランシスの競馬シリーズの初期作品くらいかな。