ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The Story of the Lost Child" 雑感 (3)

 きのうも紹介したように、これはニューヨーク・タイムズ紙の書評家、Michiko Kakutani が選んだ My Favorite Books of 2015の一冊である。さぞ、すごい小説なんだろうな。
 と思いきや、どうもぼくにはピンと来ない。そこで、裏表紙に並んでいる短評を斜め読みしてみた。トップはやはり Kakutani 女史のコメントだ。"Dazzling ... stunning ... an extraordinary epic." なるほど、女史はこんな本がお好きなのですね。
 かの Granta 誌はこう褒めている。"If you haven't read Elena Ferrante, it's like not having read Flaubert in1856 .... Incontroversibly brilliant." ホンマかいな。
 文学の好みは、いや読み方でさえ十人十色。いろんな立場があっていいとぼくは思っている。ただ、Elena Ferrante は現代の Flaubert だなんて言われると、いくらなんでもホメ殺しじゃないの、と元から曲がっているヘソをさらに曲げたくなる。
 その理由をきょうはひとつだけ挙げておこう。副題に "Book Four, The Neapolitan Novel / Maturity, Old Age" とあるように、これは4部作の完結編。それはいいのだが、傑作シリーズなら途中から読んでもおもしろいはずなのに、実際のおもしろさから判断して、とうてい傑作とは思えない。
 これに対しては当然、第1部から読まないと、ほんとのよさはわからないよ、という反論があることだろう。が、途中から読んでもおもしろいシリーズ作品はほんとうにおもしろい、というのがぼくの持論だ。
 昔は、少なくとも田舎の映画館では、上演途中から入場して映画を見ることができたものだ。で、次の上演になり、あ、ここから見たんだよね、というところで退席するのが凡作。もう一度、おしまいまで見よう、というのが佳作以上。
 たしか最後の『七人の侍』公開上演の際、当時まだ幼かったドラ娘を連れて見に行ったことがある。横浜でも小さな映画館だったせいか、途中から入れた。「また見る?」と娘に尋ねたところ、娘はこっくりうなずいたものだ。ぼくも見たかったのでホッとした。
 それが今や、娘はなかなか家に帰って来ない。という話はさておいて、名作とはそうしたものだと思っている。
 以下、Karen Kingsbury の "Summer" (2007) のレビューを再録しておこう。Kingsbury は有名なキリスト教文学作家で、いろいろなシリーズ物を書いている。これは Sunrise Series の第2作で、このシリーズは Baxter 家シリーズの、TVドラマならシーズン3。第1巻から数えて12作目が "Summer" である。

Summer (Sunrise)

Summer (Sunrise)

[☆☆☆☆] 最大の喜びは最大の悲しみの中にある……読了後、ふと思いついた言葉だ。インディアナ州ブルーミントンの街を舞台に、信仰厚いバクスター家の人々が試練を乗り越えて生きる愛と救済の物語。シリーズ化されている作品の一つだが、何の予備知識がなくても充分楽しめる。そして最後には定石どおりとわかっていても大きな感動が待っている。ハリウッドスターの息子が新婚早々、パパラッチに悩まされ、新婦とのあいだが険悪になったり、新婦の属していた児童劇団が解散の憂き目にあったり、ビバリーヒルズ高校白書を思わせる若者の恋愛や妊娠の話が出てきたり、何やら類型的な小説のようだが、それぞれ山場や泣かせどころがあって目が離せない。一家の主人をはじめ、兄弟姉妹やその子供たち、友人など、数多くの人物を登場させて見事にさばく老練な筆致が光る。随所にさりげなく昔の試練が紹介されており、バクスター家の物語を最初から読んでいるファンへのサービスも怠りない。が、本書で何より感動的なのは、生まれてくる赤ん坊が無頭蓋症と診断されながら、奇跡を信じて出産に踏み切った娘夫婦の話である。神はなぜ、必ず死ぬとわかっている赤ん坊を授けたのか。救いはないのか。最後はとにかく涙なしには読めない。その根幹をなしているのは本質的には信仰だが、「最大の喜びは最大の悲しみの中にある」ことを思うと、信者でなくても深く心を揺り動かされずにはいられない。なお英語は標準的で読みやすい。
(写真は、宇和島市潮音寺前の石段。50年以上も昔からほぼ変わらぬ風景だ)