ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Travis Holland の "The Archivist's Story"(2)

 幕切れが少し気になったので Travis Holland のことをネットで調べてみたら、この作家はもともと短編を書いていた人で、本書はどうやら処女長編ということらしい。それで納得。ネタを明かすわけには行かないが、これはまさに短編小説の終わり方である。
 途中でも、たとえば主人公のパーヴェルがもう二度と会えないと分かっている母親を駅で見送ったり、逢瀬を重ねた女管理人とやはり最後に別れたりするくだりなど、まるで短編の一節を読んでいるようで、「ここには心にしみる切ない場面が多い」。しかも、それがさらっとした書き方だけになおさら胸キュン。女管理人との別れはこうだ。"Will I see you tomorrow?" asks Natalya. Pavel does not answer. He kisses her again, holding her tight to him. Only then does he leave.
 というわけで、本書が「しっとりした佳作」であることは間違いないのだが、文学史に残るほどの傑作とまでは言えない(と思う)。なぜなら、文学史の勉強なんぞサボリっぱなしなので断言はできないが、これ以前にも、「全体主義の恐怖にさらされた人間を政治的、思想的なアプローチではなく、あくまでも日常生活、家庭生活を営む存在としてとらえた」作品があったような気がするからだ。少なくとも本書は、なるほど、こんな視点もあったのかと感心するほどの出来ばえではない。
 雑感(2)でもふれたことだが、ぼくの乏しい読書体験をふりかえると、共産主義から全体主義が生まれる思想的根源としてはドストエフスキーが、全体主義の恐怖の現実についてはオーウェルが、それぞれすでに書きつくしているように思う。それゆえ、「現代作家にとって『悪霊』や『1984年』に比肩しうるような小説を書くことは、ほとんど至難の業なのではないだろうか」。
 もし残された道があるとすれば、そのひとつは Margaret Atwood の "The Handmaid's Tale" のように新たなディストーピアを構築して恐怖の寓話を物語ることだろうが、しかしこれももう古い。『1984年』のヴァリエーションしかまず考えられない。
 あとひとつが本書のような路線である。肉親、恋人、友人との別れなど、べつに全体主義体制のもとでなくても、およそ人間が人間であるかぎり日常的に経験する悲劇を描きつつ、そこに政治的な恐怖や不安を織りこむ。ひょっとしたら、この方法以外にもはや全体主義社会をテーマにした小説は書きえないのかもしれない。そういう意味では、もし本書がその先鞭をつけたのだとしたら、これは意外にも「文学史に残る」作品なのかもしれない。
 何だかんだゴタクを並べてしまったが、ぼくは胸キュン小説が大好きなので、じつは本書もとても気に入っている。この点についてはもっと書きたい。