ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Joyce Carol Oates の “Expensive People”(1)

 1969年の全米図書賞候補作、Joyce Carol Oates の "Expensive People"(1968)を読了。さっそくレビューを書いておこう。

[☆☆☆☆] 世間一般に信じられている「真実」とは真実ではなく、じつは虚偽にほかならない。これは21世紀の現代でも、ひょっとしたらどの国にも当てはまる真実かもしれない。その意味で本書は、1960年代の作品ながら、すこぶる今日的なフィクション、正確にはメタフィクションである。18歳の少年が七年前に犯した殺人を回想。幼少期から事件にいたる経緯を実録として記述する一方、その解説や分析、さらにはメディアに載った(むろんフィクションだが)本書の批評記事なども紹介される。また少年の母親である作家の短編を挿入、彼女をアメリカ文学史のなかで位置づけるといった虚構の現実化も行なわれるなど、本書はいまなお文学における野心的かつ刺激的な試みとしての価値をうしっていない。それどころか、その文学的実験が単なる技巧上の問題にとどまらず、現実と虚構の関係を深く掘りさげつつ、俗悪な通念の浅薄さ、欺瞞を容赦なくあばき出すところに普遍性がある。オーツ自身のあとがきによれば、本書は発表当時、アメリカの直面する現実を象徴的に描いた作品として認められたそうだが、もしそれだけなら一過性のものであり、「今日的なフィクション」とはいえまい。上述したメタフィクションの技法を最大限に駆使しながら、いわば必然性のあるメタフィクションとして時代を超えた真理に到達している点こそ、最も評価されるべきである。蛇足だが、少年や両親など登場人物の精密な造形、劇的展開といった伝統的な小説技術においても出色の出来であることは言を俟たない。