ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Hilary Mantel の “Wolf Hall”(4)

 「したたかな現実主義者クロムウェルと『信念の人』トマス・モアの…どちらが見事な生き方かという価値判断は示されていない」とレビューには書いたが、クロムウェルが主人公のせいか、じつはモアのほうは少々厳しめに描かれている。宗教上の異端者に対し、大法官時代のモアは恐ろしい拷問を加えたではないか、とクロムウェルが問いただすのだ。初耳の話だが、あのトマス・モアのことだ、そんな事実があったとしても何ら不思議ではないだろう。
 だが、ヘンリー8世の無理な注文に最後まで逆らい、おのれの節を枉げずに処刑されたモアの死に方には、本書を読んでいてもやはり圧倒される。あまり感動的な描写ではないが、処刑の事実そのものにインパクトがあるのだ。映画『わが命つきるとも』などが思い出され、昔はすごい人がいたんだなあと、ふだんダメ人間のぼくでもつい粛然となってしまう。
 ただ、トマス・モアはあまりにも有名なので、もはや小説の主人公にすえる意味はほとんどないかもしれない。それに較べ、トマス・クロムウェルのほうは、少なくともフィクションの中で脚光を浴びたことは今まで一度もなかったのではないだろうか。それだけに作家としての腕を揮う余地が大いにあり、事実、ヒラリー・マンテルは見事な作品を仕上げている。ほかの最終候補作はまだ一冊も読んでいないので断定はできないが、たしかにブッカー賞にふさわしい出来ばえと言えるかもしれない。

 が、トマス・クロムウェルの政治的立場は「情勢判断に基づく現実主義」にあり、要は国王ヘンリー8世の命令に従うことにある。各要人のあいだをしたたかに動きまわる「生きざまは非常に現代的で」、昨今の政治家との共通点を見いだすこともできるだろう。しかしながら、トマス・モアと違って、その死に方に感動を覚えるようなことはない。本書では言及されていないが、森護の『英国王室史話』によると、クロムウェルはその後、国際情勢を見誤った責任を問われ、モアと同じ反逆罪で処刑されているのである。つまり、トマス・モアの理想主義もクロムウェルの現実主義も、理不尽で横暴な国王にしてみれば大差はなかった。自分の願望を満たすための道具であるか否か――ヘンリーにとっては、ただそれだけが問題だったのだ。
 「クロムウェルと…モアの対比も鮮やかだ」とレビューには書いたが、ぼくとしてはじつは、上の点にまで踏みこんで理想主義者と現実主義者の違いを示してほしかった。さらには、前者の見事さと後者のはかなさを描きわけてほしかった。しかしそのためには、大作である本書でも分量が足りず、また新たな物語が必要なことだろう。ぜひ続編を期待したいところである。