ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Summertime" 雑感

 先週の土曜にやっと出張が終わり、昨日は出張先からケータイで書いた3日分の字句訂正。あとは疲れて終日ボンヤリしていた。
 出張中に今年のブッカー賞最終候補作の一つ、J.M. Coetzee の "Summertime" に取りかかったが、途切れ途切れに読んでいるせいか、ちょっとノリが悪い。今までもこのノーベル賞作家にはあまりのめりこんだ憶えがなく、ずいぶん昔、"Life and Times of Michael K" と "Disgrace" を読んだことがあるだけ。今のようにブログを書きはじめる前の話で、エクセルに打ちこんでいる読書記録を見ると、それぞれ、「南アフリカカフカの世界」、「傷を癒して自然に生きる」とだけメモっている。何のこっちゃ?
 本書はまず、ジョン・クッツェーという男の手記から始まる。1972〜75年の話で、同級の劣等生が今やリッチな生活を送る一方、自分はインテリながら失業中というエピソードが面白い。自虐的、戯画的な性格作りか?
 ついで、そのクッツェーと関係した女 Julia の回想。伝記作家によるインタビューに応じた対話形式で、クッツェーは物故した著名な作家ということらしい。当時は風采の冴えない青年だったが、夫のいる Julia のほうから積極的にアプローチ、不倫関係におちいるものの、クッツェー自身は心を閉ざし、「愛には向いていない」超然とした人間であることが分かる。J.M. Coetzee 自身の処女作 "Dusklands"(未読)と同じタイトルの本を書いたという設定なので、これはフィクション化した自伝、回想録なのか?
 次に登場するのはクッツェーの従妹 Margot だが、インタビューの内容を伝記作家が三人称のスタイルで書き直し、その朗読を聞いた Margot がときどき注文をつけるという回想形式。明らかに現実とフィクションの混淆が認められる。二人は幼いころ相思相愛の仲で、クッツェーによれば、愛とは自由に心の中を相手に話すことだというが、彼は今や他人に対して心を閉ざし、愛する者から自分を切り離した孤独な人間となっている。
 兵役を逃れて国外へ脱出、アメリカで犯罪を犯して帰国などというエピソードも出てくるが、それがどこまでフィクションなのか、作者の実人生を反映したものなのかは分からないし、興味もない。要はこれが小説として優れていればいいわけだが、ううん、クッツェーではなく語り手自身の生活苦、親の介護問題など人生の悩みも次々に出てきて、ちとシンドイ。やや散漫な印象さえ受ける。クッツェーの横顔はと言えば、やはり自虐的、戯画的な気もする。
 …何だか締まらない感想になってしまった。この続きはまた後日。