ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Janice Y.K.Lee の "The Piano Teacher" (3)

 本書で描かれている「戦争によって引き裂かれた恋人たちの悲劇」は、太平洋戦争直後から始まった日本軍による香港占領が原因である。それゆえ、占領時代の状況がここで詳しく述べられるのは当然で、そんな「小説は、もしかしたらこれが史上初めてかもしれない」。とすれば、そのことだけで評価に値するのかもしれないが、ここで問題点が2つある。1つは、あくまで洋書オタクの愚見にすぎないが、小説として素材の採りあげ方が優れているかどうか。あと1つは小説から離れた問題だが、それが史実であったかどうか。
 ぼくはレビューに、「日本軍が香港で行なったとされる略奪行為、蛮行の数々がリアルだが戯画的なまでに描かれる」と書いたが、この「リアル」とは、史実に即しているという意味ではなく、いかにも生々しい描写、というくらいの一種の「レビュー用語」にすぎない。それよりむしろ、「戯画的なまでに」のほうに趣旨がある。レイプした「妊婦の腹を割いて胎児を引きずりだ」す一件もそうだが、少年兵が強奪した腕時計を4個だったか5個だったか見せびらかすくだりを読んで、ぼくは、あ、これは何やら映画か小説で観たり読んだりしたようなシーンだな、と思った。たとえば西部劇で、白人がインディアンかメキシコ人の強盗団にでも襲われたときの話である。つまり、第1部と第3部だけでなく、この第2部でも「登場人物にステロタイプが目立つ」わけで、「鬼畜獣人」と化した日本兵なんて、いったいどこが目新しいんだろう。
 いや、それが真実なのだから新味もへったくれもない、という反論も考えられるだろうが、そこには当然、「それが史実であったかどうか」という第2の問題がからんでくる。この点に関してはぼくはまったく無知だし、小説を読む時間を少しでも減らしたくないので、居直りのようだが今後も調べるつもりはない。ただ、ぼくはパスカルの言うように、「人間は天使でも獣でもない」、つまり、この世には完全な善人も完全な悪人もいないと思っている。したがって、たとえ鬼畜のごとき日本兵でも人間である以上、それを「すべて鬼畜獣人扱い」し、「その犠牲になった人々だけ心理描写の対象と」するのは、人間観察のプロであるべき小説家としてどうなんだろう、と疑問に思う。日本人であろうとなかろうと、人間を「戯画的なまでに」「ステロタイプ」として描くことは、単に新鮮みがないだけでなく、人間の本質を見失った証左である。
 ただ本書には、このジャニス・リーという作家、人間をよく観ているな、と思わせるくだりもある。'Not everything is so black and white.' と述べる人物も登場するからだが(p.295)、残念ながらこの人物は悪役で、作者の人間観を必ずしも代弁しているとは言えない。結果的に、本書における日本人が black そのものであることは明らかで、「人間は天使でも獣でもない」という灰色の世界ではなく、黒白の歴然とした世界がここにはひらけている。その点、本書はたとえばオーウェルの『カタロニア讃歌』のような戦争文学の傑作と較べると、格段に落ちる作品と言わざるをえない。
 それとも、ジャニス・リーは人間の本質にはあえて目をつぶり、何か格別の意図があって、「日本兵はすべて鬼畜獣人扱いで、その犠牲になった人々だけ心理描写の対象と」する小説をものしたのだろうか。「格別の意図」としてひとつ考えられるのは、日本軍による「戦争犯罪の告発」である。ぼくはそう推測してレビューを書いたわけだが、この「告発」こそ、「それが史実であったかどうか」という問題とかかわっているはずだ。…ううん長くなりすぎた。今日はここまで。