ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

今年の上半期、ぼくのベスト6

 この半年で読んだ本は30冊。日本語の本は一冊も読んでいない。何だか情けない数字だが、多忙その他、諸般の事情で思うように読めなかった時期もある。宮仕えの身としては、まずまずがんばったほうだろう。去年の今ごろは、ベスト3さえ選べる読書量ではなかったので、とりあえず自己マンにひたりたい。
 というわけで、今年の上半期は欲ばってベスト5を、と思ったのだが、すんなり決まったのは4冊。最後の1冊で迷ってしまった。以下、1〜4は読んだ順のベスト4で、5と6は次点。これも読んだ順だ。レビューはいずれも再録です。あと半年、もっとたくさん読めますように!
1.“Light Lifting” Alexander MacLeod

Light Lifting

Light Lifting

[☆☆☆☆] その昔、「短編小説は閃光の人生」という名コピーがあったが、本書はまさに閃光のような人生を語り継いだ珠玉の短編集。といっても、ここで描かれているのは人生の決定的な瞬間だけでなく、むしろ、平凡な日常的風景を鮮やかにとらえ、それを永遠の一瞬として次々に紙上に定着させたものが多い。名詞句と現在時制を多用し、実況中継風に物語を進行させる文体にその特色がよく示されている。むろん内容に応じて変幻自在、過去形を交えたごく普通の文体もあるが、いずれにしても独特の緊張感がみなぎり、さながらフラッシュをたきながら各場面を撮影しているかのようだ。カバー写真と関係する第1話では、夜、トンネルの中を貨物列車と競争して走った2人のランナーの過去と現在が交錯しながら浮かびあがり、表題作では夏の日に突然起きた事件に至る経過が刻々と示される。一方、幼いころ海辺でおぼれかけた若い娘が水泳スクールに通う話では、やがて泳げるようになった娘が夜、ホテルの屋上から川へ飛びこむものの…。どの物語も人生にかんする深い洞察を示しているわけではないが、その代わり本書を読むと、平凡な毎日の生活にもじつは永遠の瞬間があふれていることに気づく。少なくとも一生記憶にのこるだけの意味を持つ小さな体験を積み重ねながら吾々は生きている。そんな「洞察」に満ちた短編集である。英語もとにかく緊密な文体で集中力を要求される。
2.“The Imperfectionists” Tom Rachman
The Imperfectionists: A Novel (Random House Reader's Circle)

The Imperfectionists: A Novel (Random House Reader's Circle)

[☆☆☆☆] 感服した。主人公が次々に交代する輪舞形式の小説で、実質的には短編集と言えるが、主人公たちの絆からながめるとやはり長編。見事な構成だが、内容ももちろんすばらしい。ローマの国際的な英字新聞社を主な舞台に、編集局長や部員、各部の記者、校正部員などいろいろな立場の社員が登場し、それぞれの仕事ぶりや人間関係、なかんずく私生活が活写される。彼ら彼女たちはみな、対人的、外見的にはタフな人物もふくめ、心の中ではいちように鬱屈し、悩み苦しんでいる。家族からの孤立、上司や同僚との対立、中年女の初恋、ほろ苦い男の友情、夫や恋人の浮気など題材としては日常茶飯だが、各人物の造形や心理描写がじつに的確で、その悪戦苦闘ぶりに思わず引きこまれる。筆致は総じてコミカル、時に抱腹絶倒もののエピソードもあれば、一方、人生の悲しい現実や定めに茫然とさせられる話もあり、とにかく愉快、痛快にして胸をえぐられる。各話の末尾で50年にわたる新聞社の歴史が綴られるが、この社史がじつは主人公たちを結びつけ、そして切り離す絆となって終幕を迎える。それぞれの人生をしみじみと実感したあとにこの結末。見事と言うしかない。英語は語彙的にはやや難しいが、活き活きとしたノリのいい文体で読みやすい。
3.“The Invisible Bridge” Julie Orringer
The Invisible Bridge (Vintage Contemporaries)

The Invisible Bridge (Vintage Contemporaries)

[☆☆☆☆] 大ボリュームにふさわしい感動的な歴史巨編、傑作大河小説。冒頭からぐんぐん引きこまれ、何度も胸を締めつけられそうになりながら読み進み、深い余韻にひたりつつ本を閉じた。主題は家族の愛と絆である。その象徴が「目に見えない橋」というタイトルで、時間と空間、さらには生死の境を超えて結びついた家族の絆を指している。主人公はハンガリーユダヤ人の青年で、第二次大戦前夜から大戦中、そしてハンガリー動乱にいたるまで過酷な運命に翻弄されつづけたユダヤ人の家族の歴史が綴られる。パリに留学した青年が同じくユダヤ人の年上の女性と恋に落ちるくだりは、年齢差や家族の反対、恋敵の存在など数々の障害が立ちふさがり、まさしくメロドラマそのものだ。が、次第に戦争の暗雲が垂れこめ、やがて学生ビザの切れた青年がハンガリーに帰国したときから物語の様相は急変。酷寒のカルパチアやウクライナでの強制労働、ドイツ軍とソ連軍の攻防、ブダペスト空襲など、それぞれの局面で青年とその家族は文字どおり生死の境をさまようようになる。劣悪な環境や、人間の醜悪な利己心、非情さ、ホロコーストの恐怖など、定番の題材ではあるがリアルな描写に圧倒され、極限状況のもとで示される家族愛や同胞愛に胸を打たれる。戦況や政治情勢とともに二転三転、いや四転五転する展開も加速的に先を読みたくなるゆえんのひとつである。難易度の高い語彙も散見されるが、総じて読みやすい英語だと思う。
4.“The Tiger's Wife” Tea Obreht
Tiger's Wife

Tiger's Wife

[☆☆☆☆★] 生と死を結び、現実と非現実を重ねあわせることで生まれる不思議な世界を描いた秀作。旧ユーゴが舞台なので、東欧マジックリアリズムの誕生を告げる作品と言っていいかもしれない。「虎の妻」にしても「不死身の男」にしても、本書の核心をなす物語は、いくつもの伝説や説話などを織りまぜたようなフォークロアの色彩が強い。その圧倒的なストーリーテリングにまず魅了される。これは相当に面白い。が一方、主人公の若い女医が、亡くなった祖父の物語るフォークロアの世界へと踏みこんでいくうちに、紛争によって分断された国家の現実、消えた統一国家という「幻の現実」も浮かびあがる。そういうドキュメンタリー・タッチが混じって粛然となったかと思うと、女医が訪れる祖父の生まれ故郷や死んだ町などでは、非現実的な夢のような世界が待っている。このコントラストがじつに鮮やかだ。また一方、女医が祖父の物語を追いかけることは、亡き祖父の人生を検証、追体験すると同時に、その死を悼む行為でもある。怪奇実話なみに面妖な物語の底に、じつは哀感が流れているのだ。それが消えた国家への哀惜の念と重なる点がみごと。ともあれ、ここには生と死、そして現実と非現実の融合が認められる。その端的な例が「虎の妻」であり「不死身の男」である。マジックリアリズムのゆえんだが、それはユーゴスラビア紛争という悲劇が生みだした、まさに東欧独自のものではないかと思われる。国家の歴史と運命を背景にしたマジックリアリズム小説の誕生に絶大なる拍手を送りたい。英語は平明で、ときに難易度が上がるものの総じて読みやすい。
5.“Super Sad True Love Story” Gary Shteyngart
Super Sad True Love Story: A Novel

Super Sad True Love Story: A Novel

[☆☆☆☆] ふと、ロレンスの名著『現代人は愛しうるか』を思い出した。むろん、あれほど深い人間性に関する洞察が示されているわけではないが、それでもここには、現代文明における危険な兆候を風刺しながら「人は愛しうるか」というテーマが流れている。舞台は近未来のニューヨーク。今やアメリカは経済的に破綻し、その回復をもくろむ政党が国民生活を監視する全体主義の国。超高性能の情報取得・通信装置の普及によってプライバシーは皆無となり、人間同士の直接的なコミュニケーションも阻害される一方、バイオテクノロジーによる永遠の生命を売り物にする会社も出現している。その社員で風采の上がらないロシア系ユダヤ人の中年男が韓国娘に恋をする。男の日記と娘のメールのやりとりが交代で紹介される構成だが、いずれにしてもまず、すさまじい言葉の奔流とでも言うべきエネルギッシュ、にぎやかで饒舌な文体に圧倒される。これにより俄然、中年男と若い娘の恋というお決まりの設定に強烈な物語の推進力が加わり、男の不甲斐なさ、2人のすれ違いなどから生まれる定番のコミカルな味にもいっそう魅了される。一方、上記のように経済の偏重、ネット情報への依存、新たな処方箋への過信という現代文明の状況を風刺的に描きながら、そこで右往左往する人々の姿を通じて予言される人間の運命には、何やら薄気味わるいリアルさを覚える。文明の発達がもたらした孤独と絶望、悲哀と苦悩の中で、他人との結びつき、家族の愛、心の救いを真剣に求める人々。まさに「現代人は愛しうるか」をテーマとした悲喜劇である。英語は上に書いたとおりの文体で、語彙的にもかなり水準が高いほうだと思う。
6.“The Lacuna” Barbara Kingsolver
The Lacuna

The Lacuna

[☆☆☆☆] 前半はやや忍耐を強いられたが、中盤を過ぎたあたりでエンジン全開。終わってみれば、ホエザルの啼き声で始まる冒頭の象徴的な意味も、さほど劇的とも思えなかった前半の位置づけもよくわかり、これはやはり十分に計算しつくされた大変な力作である。舞台は、メキシコ革命世界恐慌トロツキーのメキシコ亡命と暗殺、第二次大戦、赤狩りとつづく激動の20世紀のメキシコとアメリカ。主人公は、のちに歴史ロマンスを書いて有名となる作家で、その少年時代からの日記を中心に、書簡や作家の秘書による注釈、新聞記事、さらには法廷記録などもまじえながら、青年作家の「lacuna」、すなわち空白の人生を次第に再構成していくという叙述形式と展開だ。前半で「忍耐を強いられた」一因としては、たとえば主人公がトロツキーの秘書となり、その亡命生活と暗殺の一部始終を目撃しているわりには両者の関係が希薄で、世界史的に重要な人物の登場する意味が伝わってこない、といった点が挙げられる。が、じつはその「希薄な関係」こそ、後半の急展開の鍵なのだ。歴史が大きく変動するとき、人間の運命も大きく左右されるのは世の常だが、変化の瞬間には歴史の渦に巻きこまれていることがわからないかもしれない。そうした運命の過酷さを描いている点で、本書はきわめて正統的な歴史小説である。また、大衆ヒステリーの恐怖を扱った社会小説としても記憶にのこる作品だろう。英語は難解とまでは言えないが、語彙レヴェルはかなり高いほうだと思う。