今日でもう今年も半分経過。毎年のことだが、月日の流れがほんとに早くなった。この半年で読んだ本はたったの32冊。去年より2冊多いだけだ。でもまあ、4月には父が他界し、なかなか思うように本を読めなかった時期もあるので、去年と同じく、「宮仕えの身としては、まずまずがんばったほうだろう」と自己マンにひたるしかない。
さて恒例のベスト5だが、☆4つ以上の点数をつけた作品がたまたま5冊あったので、これですんなり決定。ただし問題がないわけではなく、トルストイを現代文学と同列に扱っていいものかどうか。"Brodeck" が2009年の作品であることも気にかかる。そういえば3冊も英訳本だなあ…などと考えつつ、とにかくレビューを再録しておこう。あと半年、もっともっと読めますように!
[☆☆☆☆★★] 月並みな感想だが、
トルストイは偉大なる
モラリストだったと思う。もとより聖人君子ではなく、おのが心中にひそむ巨大な悪と生涯闘いつづけた偉人という意である。本書には、その激しい内なる闘いと道徳的煩悶がちりばめられている。それは現代人の感覚からすれば、驚きの連続でもある。Ivan Ilyich は、いまわのきわまで人生いかに正しく生きるべきかと問いつづけ、"The Kreutzer Sonata" の Pozdnyshev は、ひとの命なんぞ二の次三の次、禁欲を守るためには人類が滅亡してもかまわないと宣言。"The Devil" の Evgeny は心のなかの姦淫にもだえ苦しんだあげく破滅し、Sergius 神父は女への欲情に抗すべく、なんと自分の指を切断。彼らの煩悶は、いずれも心中のエゴイズムや道徳的欺瞞にたいしてすこぶる敏感な精神、すなわち、過激なまでに厳しいモラリズムと猛烈な理想主義から生まれたものである。かくも徹底した理想主義を描いた小説は、世界
文学史上でも数えるほどしかなかろう。一方、"The Forged Coupon" や "Alyosha the Pot" など軽妙な筆致の作品からは、図式的とも思える人物像を通じて
トルストイの理想が見えてくる。純粋な奉仕、自己犠牲、無私の精神である。それを実践すればするほど神の世界に近づくと感じたのが Sergius 神父であり、神父の最後にたどり着いた境地が「軽めの作品」のモチーフなのだ。ひるがえって、表題作をはじめ、人間の「内なる闘いと道徳的煩悶」を採りあげた作品のほうはストーリー性を度外視しているため、けっして読みやすくはない。しかしなにより「猛烈な理想主義」に圧倒される。まさに名作である。ロシア語との対照はできないが、たんに「英語で書かれた作品」として見ても、すぐれた英訳ではないかと思われる。
[☆☆☆☆★] 作中人物の言葉をもじっていえば、「現代において結婚は小説の題材たりうるのか」。本書は、この疑問にたいするみごとな解答である。と同時に、結婚が主要なテーマのひとつだった十九世紀英文学の
本歌取りでもあり、伝統的な小説作法を踏襲しながら
現代文学の技法も活用。内容的にも現代のさまざまな事象や風俗を取りいれ、結婚という古典的なテーマに新風を吹きこんでいる。つまりこれは、古典と現代の融合という文学的な野心に満ちた作品なのだ。主な舞台は80年代の
アメリカ東部。名門
ブラウン大学で英文学を専攻する女子学生マデリン・ハンナが卒業式を迎えた日から物語ははじまる。彼女にふたりの男子学生がからむ三角関係と結婚狂騒曲。要するにそれだけの話なのに、これが無類におもしろい。文学や
記号論、宗教、生物学など専門的な分野への脱線は知的昂奮をかきたて、三人とマデリンの親や姉、友人たちとのふれあいは抱腹絶倒もの。それぞれの心理を緻密に描きこんだかと思うと、小気味よくアクションを活写するなど、緩急自在のテンポがじつにすばらしい。どの細部も饒舌にして愉快な仕上がりで、その積み重ねがやがて主筋を形成するのは古典小説の定石であり、一方、同じエピソードを複数の人物の視点によって再構成しながら物語を展開させるのは
現代文学の成果。マデリンの文学研究が実際に小説として応用され、彼女と相手の男性の人生が小説化されるところは
メタフィクションそのものだ。こうした華麗な文体と巧妙な技術が凡庸なテーマを支える本書は、まさに「小さな説」という小説の典型例である。
[☆☆☆☆] 日本人にとって自由とは、いまさら言うまでもなく空気のようなものだ。しかし本書を読むと、自由の意味をあらためて思い知らされ興味ぶかい。ブレジネフ時代の
旧ソ連、ラトヴィアから
ユダヤ人一家がイタリアへ。といっても、政治的自由を求めたり、迫害から逃れようとしたりしたわけではなく、移住の動機はすこぶる不純。金儲けや気ままな暮らしを望む息子たちが決めたもので、
共産党幹部の老父サミュエルも恥をしのんで亡命につきあう。が、当初の目的地
アメリカ行きは頓挫し、ローマで足どめ。この宙ぶらりんで中途半端、不安定な仮住まいこそ、じつは自由の現実と本質なのでは、と思えるところがおもしろい。そもそもサミュエルには精神的自由がない。将来の希望もなく過去に縛られ、第二次大戦で戦死した弟の思い出など悲痛な体験が胸によみがえり、切ない。長男カールと次男アレックの行状には、自由と責任という定番のテーマが読みとれる。アレックは軽薄なプレイボーイで、カールともども不倫現場を押さえられるくだりなど抱腹絶倒ものだが、人生を甘く見たツケがまわり、彼らは緊迫した
ノワールな世界に突然放りこまれる。ことほどさように悲喜こもごも、自由にまつわるドラマは多岐にわたり、自由に生きようとすればするほど、ひとはその危うさ、むずかしさ、こっけいさなど、さまざまな局面に出会う。本書はそうした自由の現実の一端をみごとに誇張して描いた特筆すべき作品である。
[☆☆☆☆] 人間の内面にひそむ悪、狂気をアレゴリカルに描いた秀作。とりわけ終盤、非現実的な空想から恐怖の現実が生みだされるくだりに感服した。おそらく
ホロコーストがモデルだと思われるが、使い古されたテーマでも寓話形式であるだけに「新鮮な恐怖」をおぼえる。舞台はヨーロッパ、戦争の悲劇が起きた架空の国の架空の村。戦後、村を訪れた謎の男が宿屋で村人たちに殺害され、帰省した主人公ブロデックは村長から事件報告書の作成を依頼される。ミステリアスで
カフカ的な雰囲気のなか、しだいに事件の全容が明らかになると同時にブロデック自身の回想も進行。大衆ヒステリーを物語る虐殺や、地獄のような
強制収容所の生活、生きるためにみずから犯した罪などがよみがえる。一方、ブロデックの不在中に村で起きた戦争の悲劇について複数の生き証人たちが証言、話者が流れるように交代するうち過去と現在が交錯する展開は超絶的というしかない。が、なにより圧倒されるのは、残酷な寓話を通じて戦争と人間の本質が端的に表現されている点である。戦争とは「人間の内面にひそむ悪」をさらけ出すものであり、また戦争とは関係なく、そもそも
人間性は狂気をはらんでいる。なんども指摘されてきた事実ではあるが、本書を読むと、いまさらのように、人間この怖ろしきもの、と思わざるをえない。
[☆☆☆☆] みずみずしいタッチで描かれたシンボリックな自己発見の物語である。感服した。年老いた父と
自閉症の弟をのこし、荒涼とした溶岩平原をひとり旅立つ青年ロビ。母親を交通事故で亡くしたばかりの心象風景だ。当初は旅の行き先も目的も不明だが、この設定も、とくに人生の目標がなく、女と衝動的に関係し、子どもをもうけたものの未婚というロビの中途半端な状況とみごとに一致している。やがてロビは
南欧らしい村の
修道院に住み、世界的に有名なバラ園の修復にとりかかる。そこへ上の女が赤ん坊を連れて現われ、奇妙な共同生活が開始。この仮住まいももちろん、自分の将来を決めかねているロビの心理をよく反映したものだ。以後の展開は定石どおりだが、とにかく終始一貫、清涼な空気を思わせるような透明感のある文体がすばらしく、描きだされる微妙な心象風景にふと眺めいってしまう。とりわけ、ほほえましい光景に心がなごみ、さいご、ロビが丹精こめて育てた赤紫のバラが目にしみる。彼が自分の人生にコミットしようと決意を固めた一瞬である。みごとな幕切れだ。