ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Denis Johnson の “Train Dreams” (3)

 今日はこのあと一杯やることにしているので、本書について気になる点を手っ取り早く書いておこう。
 これはかいつまんで言えば、山火事で「早くに妻子を亡くした男」が深い悲しみを胸に秘めながら「長生きし…世の中の変遷を実感」する物語である。生まれたのは19世紀の終わりで、死んだときは80歳を過ぎていたというのだから、そりゃ世の中、大いに変わったことでしょう。山火事のあと木々は次第に元の姿を取り戻すが、以前とはやはりどこか違う、といったあたりが象徴的な一節である。
 ただ、象徴的でありすぎて、何がどう変わったのか今ひとつはっきりしない。物質文明の変化を物語る例もいくつか提示されるのだが、80年のうちに物が変化するのはあまりにも当然で、何をどう示されてもちっともおもしろくない。こちらが知りたいのは、精神文化における変化だからだ。ほぼ1世紀のあいだにアメリカ人の精神はどう変わったか、あるいは、変わらなかったのか。この点に少しも言及されていないのが、本書に覚える最大の不満である。
 着想はいい。ストイックな男が「深い悲しみを胸に秘めながら」世の中の流れを静かに見つめる。その目には、「亡き妻の姿や夕日に映える遠い山々など、人生という一睡の夢に出てくる情景」が映る。これもいい。それは「切ないほどに懐かしい、今や失われた夢の風景」、「心の原風景」でもある。これもいいでしょう。が、それだけなら要するにセンチメンタルな作品に過ぎないのではないか。もちろん、Denis Johnson の文体はみごとに感情を抑制したものなのだけれど。
 家族との別れをきっかけに悲しみに暮れ、絶望におちいり、人生の有為転変に思いを馳せるとともに、個人的な感傷にとどまらず、国家や民族の変化と連続性にも目を向け、物質文明だけでなく精神文化における変遷をも考察の対象とする。この "Train Dreams" の設定からは、そんな壮大な物語も可能だったのでないだろうか。
 ぼくは最近、Siri Hustvedt の "The Summer without Men" についてこう書いた。…「絶望および絶望からの脱出」はもしかしたら、現代英米文学のおもなテーマのひとつになっているのかもしれない。しかも、その絶望の最たる原因は「家族との何らかの別れ」にある、というのが特徴では。…
 そして、「家族との別れがもたらす絶望とその克服」といえば、今年の、いや今後の日本人のテーマのひとつかもしれない、と続けたのだが、ともあれ、「家族との別れがもたらす絶望とその克服」からさらに発展した、上に述べたような「壮大な物語」をぼくはいつか読みたいと思っている。