ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Iris Murdoch の “The Bell”(1)

 このところ多忙と疲労で思うように本が読めず、40年前の夏休みと違って、最後は一気にひと晩で、というわけに行かなかった。また、レビューを書く時間もなかなか取れなかった。いざ書き出してみると、いっこうに先が続かない。さてさて困ったものだ。

The Bell

The Bell

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[☆☆☆☆★] 鐘はなぜ鳴るのか。その音色にはどんな意味があるのか。この問いに答えはない。鐘の音を聴いたひとの心には、さまざまな思いがよぎったり、なにもよぎらなかったりする。神とは人間にとって、そういう鐘のような存在かもしれない。もし本書の鐘に象徴的な意味があるとすればいろいろと臆測できそうだが、上の解釈もそのひとつである。舞台はイギリスの田舎。ある宗教団体の起居する屋敷近くの湖に、隣接する尼僧院に昔あった古い鐘が眠っているという。その伝説の鐘と、尼僧院に新しく設置される鐘をめぐる騒動がハイライトで、それに収斂され、その余韻となる人びとの微妙な心の動きがまず読みどころ。主な人物は内心さまざまな葛藤をかかえ、その葛藤が他人との関係で増幅され、その絡みあいからたえず事件が起こる。予想外の急展開があり、不安が高まり、緊張の一瞬が訪れ、思わず息をのむ。すると、つぎの章で緊張の意味が明かされたり、魅力的だが不可解な場面やエピソードが、実際は予兆、暗示に充ち満ちていたことがあとでわかったり、ほかにも鮮やかな視点変化や、湖の美しい風景と細かい心理描写の交錯など、じつに巧みな構成である。とりわけ後半、ハイライト前後の加速度的な展開は息つくひまもない。湖のほとりに集まった人びとはそれぞれ悩み、苦しみ、怒り、悲しみ、救いを求めている。しかし、だれにも完全な処方箋は示されない。けれども一方、そこには暗い絶望もない。救いようのない現実を心静かに受けとめながら別れを告げる男と女。そしてきょうも尼僧院ではミサがひらかれ、鐘が鳴り響いている。あの鐘はなぜ鳴るのか。それはもしかしたら、救いも絶望もない、ただ、いまを生きるしかない現代人のおかれた精神状況をみごとに象徴しているのかもしれない。これもひとつの解釈である。