ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

David Bezmozgis の “The Free World” (3)

 手持ちの Longman Dictionary of English Language and Culture で 'free' の定義を調べると、第一に 'able to act as one wants; not in prison or under anyone's control' と載っていた。思わず、へえ、である。"The Free World" で描かれている自由とは、勝手気まま、とほとんど同義だからだ。さらに 'freedom' を引くと、'the state of free; not being under control' とあった。
 ぼくは頭でっかちなのか、「自由」というと、まっ先に「思想の自由」や「言論の自由」を連想し、ついで、ドストエフスキーの『地下生活者の手記』に出てくる「二二が四は死の始まり」という有名な言葉を思い出す。そうそう、大審問官の話も自由がテーマでしたね。
 ところが、Bezmozgis はごくふつうの、しかしながら、いちばん本質的かもしれない自由の意味にのっとって、この "The Free World" を書いていることになる。本書に登場する亡命ユダヤ人たちは移住先が未定で、それが決まってはじめて a free man in a free world になれるのだと認識しているのだが、彼らが実際に取る行動としては、もうすでに十分「勝手気まま」であり自由奔放だ。
 しかしもちろん、その行動には制約がある。移住という大目標が達成されていないため、気ままな自由はすなわち、「宙ぶらりんで中途半端な自由、先行きの不安定な仮住まい生活」にほかならない。それが「じつは自由世界の実態なのではないかと思える」とぼくは書いたが、これは何を隠そう、ぼく自身の人生の現実でもある。
 たしかに家はあるが、しょせんそれは「仮住まい」なのではないか。将来のことは、死がそう遠くはないという一事を除いてまったく不安定。東日本大震災から明日でちょうど1年と思うと、この先何が起こるかわかったものではない。ぼくもこの国も、いったいどうなってしまうのだろう。
 そんな不安に駆られる一方、毎日毎日好きな本を読んでいるだけで、とくにこれといって目標もなく、「宙ぶらりんで中途半端な自由」を享受している。これが空気みたいな自由の実態だ。
 …何だか暗い話になってしまったが、"The Free World" のほうは (悲痛な話もあるが) 決して暗くない。「良かれ悪しかれ悲喜こもごも、自由からはいろいろなドラマが生まれる。それが自由の危うさであり、おもしろさでもある」。そのおもしろさを遺憾なく発揮した秀作である。