ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Cynthia Ozick の “Foreign Bodies” (2)

 このところ、仕事帰りにスタバかドトールに寄って本を読むのが日課だ。わが家にはエアコンがないので(昔から節電!)、少しは涼んで帰らないとやってられません(お店を利用するのは節電なのかな)。それに、家よりはるかに能率よく本が読める。まわりには熱心に勉強している学生も多い。
 閑話休題。この "Foreign Bodies" で今年のオレンジ賞最終候補作は、受賞作もふくめてぜんぶカバーしたことになるが、芸術性という点ではこれがピカイチだ。とにかくじっくり腰をすえて読むべき作品です。速読するのはもったいない。というか、速読をはばむような書き方であり内容だと思う。たとえば、主人公のビアトリスが元夫のピアノを処分したあと、室内のカーペットをながめたときのくだりがこうだ。
 Halfway to the bedroom, she stopped and looked down. Here, here was the sickness! She had been treading on it day after day, a darkness before her eyes. Not Iris, not Marvin, not the fish paste, not those prancing howling boys―the sickness, the lurch and the acid, was here. Her naked toes were swamped by it. The blemish, the shape, the muddy dark. A brown estuary flooding the threads of beige. Where Leo's piano had planted its legs, under its broad black belly where the sun hadn't reached to drain out the color, the grand's bleeding silhouette persisted. It persisted, it bled, its edges were as underlined as a cloud of brown dust. In the dictionary of clouds, it was the sickest. (p.165)
 いきなりこの部分だけ読むと状況がわかりにくいかもしれないが、「鋭い知性と繊細な感覚に裏づけられた詩的で格調の高い文体で、微妙な心の動きが丹念に綴られていく」一例である。読むだけでなく書き写してみると、改めて Ozick はすごい作家だなと実感する。
 この調子で「自分探しの旅」が、「親子や兄妹、夫婦などの愛憎」が、そして「エゴイスティックな内面の容赦ない追求」が描かれるのだから「決して読みやすくはない」。さらに言えば、どこを読んでもこんな書きっぷりなので、いったん作者のねらいがわかると、つまり、表現を重視した芸術的な観点によるアイデンティティの追求というテーマが見えると、あとはいくら読んでも同じだなと思え、当初のぼくのようにダラダラ読んでしまうことになる。だが、言語芸術としての文学という意味では、「これぞまさしくブンガクだ!」と叫びたくなるのも事実である。疲れるが、たまにはボケ防止にこういう本も読みませんとね。(もう手遅れ、というかみさんの声が聞こえる)。