地獄の夏が終わったと思ったら、地獄の秋が待っていた。きのうなど文字どおり目が回り、血圧を測ってもらったところ、下が88。「これはよくない」と即座に言われた。原因はたぶん蓄積疲労だろう。
おかげで今年の Baileys Women's Prize for Fiction(旧オレンジ賞)受賞作、Naomi Alderman の "The Power"(2016)を読むのも朝の通勤時だけ。帰りはぐったり疲れているので、ウォークマンでお気に入りの曲をずっと聴いている。
それでもメモを頼りに粗筋を思い出し、分量的にはあと少しというところまでこぎ着けた。が、その少しを読む時間がなかなか取れない。
そんなカタツムリ君もあきれるほどの超スローペースながら、"The Power" はなかなか面白い本である。7月のなかばに読みはじめ、たしか数日の通勤快読で半分くらいまで進んだ。思わず引き込まれてしまったからだ。
と同時に、ぼくは最初からある疑問も感じていた。それが頭の片隅にあり、地獄の夏が始まったとき、これなら途中でひと休みしてもいいだろう、と思ったのが運の尽き。なんと、それからもう2ヵ月もたってしまった。
ともあれ、ご存じの方も多い作品だと思うので、きょうはその疑問点についてのみ簡単にふれておこう。それは、裏表紙に紹介されている粗筋を読んだだけでもわかる。All over the world women are discovered they have the power. With a flick of the fingers they can inflict terrible pain ― even death. Suddenly, every man on the planet finds they've lost control. The day of the girls has arrived ― but where will it end?
いかにも女性作家賞受賞作らしいお話ですな。でもこれ、要するにウーマンリブってことじゃん。何を今さら、というのがぼくの疑問である。
もちろんアイデアそのものは面白い。SFと言ってもいいだろう。SFが苦手のぼくでも最初はクイクイ読めたのだから、たしかに受賞も当然という気がしなくもない。
しかし読めば読むほど、何を今さら、という感想が頭をかすめ、それは再び読みはじめた今も変わらない。むろん、現代はまだまだ男性優位の社会であって、女性の地位向上は喫緊の問題であると言えるかもしれない。
けれども、それを小説のテーマにするのは、はて、どうなんですかね。べつに悪いとは言わないけれど、少なくとも、文学的に深く掘り下げることが可能なテーマだとは、ぼくにはどうしても思えないのである。
とはいえ、まだ先が残っている。where will it end? 結末次第では、以上はぼくの浅読みの証拠ってことになるかもしれませんな。
(写真は、宇和島市妙典寺前、宇和津小学校近くの里山。子供のころ、今は亡きいとこと、この山を駆け回ったのがつい昨日のことのようだ)