ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“Lives of Girls and Women” 雑感

 先週末からきのうまで、父の一周忌で愛媛の田舎に帰省していた。少しは読書にも時間を割けるかなと思っていたが、法要だけでなく、母の介護の手配に忙殺されるなど何かと気ぜわしく、ろくに読めなかった。
 また、桜見物に励んだのも本から遠ざかった一因だ。ぼくのふるさとは予讃線の終点の宇和島だが、帰る途中松山に寄り、松山城の桜を見に行った。ここの桜を見るのは初めてだったが、評判どおりの見事さで大満足。だが、父母のこと、ぼく自身の老後のことなどをぼんやり考えながらながめたのは、実家にほど近い伊達家の菩提寺の大隆寺、通称〈おたまや様〉の門前の桜である。

 閑話休題。帰省時からボチボチ読んでいるのが Alice Munro の唯一の長編小説、"Lives of Girls and Women" (1971) だ。Munro の旧作は、今年の初め、最新短編集の "Dear Life" を読んだときから catch up しようと思っていた。
 というのも、ぼくは恥ずかしながら同書が Munro 初体験。そのときの評価はこうだった。「一話ずつ5点満点で採点した結果、平均4点弱。旧作のほうがいいと言う人もいるかもしれない。ただ、(フィクションではない後半の)心象スケッチが心にしみたので★を一つおまけし、☆☆☆☆にした」。以来、旧作の出来ばえがずっと気になっていた。
 さて、「唯一の長編小説」というふれこみの本書だが、実質的にはこれ、連作短編集ですな。Del Jordan という少女が一貫して主人公で、最初の物語では小学生だが、いま読んでいる表題作では高校生。1942年から物語がはじまり、舞台はずっとオンタリオ州の田舎町である。裏表紙によると、'autobiographical in form but not in fact' なのだそうだ。
 たしかに、たとえば劇的な展開をともなう、いかにもフィクションらしいフィクションではない。上の "Dear Life" における心象スケッチ編を思わせるところがある。が、やっぱりこれはフィクションでしょうな。
 その特徴を少しまとめてみようと思ったが、まだ旅行の疲れがのこっていて、ふだんにもまして頭が働かない。きょうはこのへんで。