ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Salman Rushdie の “Quichotte”(2)

 先週末まで、Bernardine Evaristo の "Girl, Woman, Other" をボチボチ読んでいた。Margaret Atwood の "The Testaments" が届かないのでしびれを切らしたからだが、同書は日曜日にやっと到着。パラパラめくり、すぐに乗り換えた。
 "Girl, Woman, Other" のほうは、いま現地ファンの下馬評をチェックしても、今年のブッカー賞最終候補作のなかで1番人気。が、ざっとした印象では、まだ序盤の序盤をかじっただけなので断言はできないけれど、それほどすぐれた作品とは思えない。せいぜい☆☆☆★★★くらい。Salman Rushdie の "Quichotte" のほうがいい(☆☆☆☆)。

 ひとつには、本書に〈複眼思考〉による人間観、世界観が読み取れるからだ。早い話が、「キホーテは愛の探求を通じて善なる自己の実現を目ざし、自分の存在を疑うサンチョはその証しを得ようとする」。そこに(コミカルなものだけど)理想主義と、理想への疑問が同時に描かれていることは疑う余地がない。'I am no longer sure that I am good,' Quichotte confessed.(p.325)
 さらに、ふたりの物語を綴る作家ブラザーを登場させ、自作の批評や解説を試みるというメタフィクションの手法によって、「シュールで不条理な世界、フィクションが人生の現実となった〈何でもあり〉の今日のアメリカ」を読者に提示。真偽の区別がつかないほど価値体系が混乱し、絶対的な真理や価値が何ひとつ存在しない終末論の世界にあって、ある人物はキホーテのことをこう伝える。He said he was delving into the hidden reality of the world, the truth that exists but is buried very deep so that most of us can live among more palatable fictions.(p.254)
 その結果、キホーテはこんな心境になる。The multiplicity, the everything of everything, the roar of narratives, the endless transformations, the myth factory lost in the myth of itself: it unsettled him.(p.274)こうした the Age of Anything-Can-Happen(p.316)という時代の描写は、ひょっとしたらトランプの風刺かと思えるくだりもあるけれど(p.46)、その根底にはこのような世界観が流れているようだ。That lie had been his truth. Maybe this was the human condition, to live inside fictions created by untruths or the withholding of actual truths. Maybe human life was truly fictional in this sense, that those who lived it didn't understand it wasn't real.(p.300)
 あえて誤訳するが、この「人間の条件」を提示するのにメタフィクションは Salman Rushdie にとって最適の技法だったのではないか、と思われる。それはまた、ものごとの multiplicity をとらえる複眼思考の証左でもあろう。
 一方、"Girl, Woman, Other" では〈単眼思考〉が気になった。ある人物にイギリス保守派の動きをファシズムと呼ばせるなど(p.42)、主人公のレズビアンの立場とかフェミニズムを絶対視しているような印象を受ける。だれでも自分の主張は正しいと思うものだが、相反する立場の人間を全否定するような言辞を弄するのは、その人自身が全体主義者であることの証拠だろう。そのあたり作者の基本的姿勢はどうなのか、来週にでも改めて同書に取りかかったとき、じっくり確認しようと思っている。
 最後になったが、"The Testaments" のほうは、近未来SF、スパイ小説、陰謀小説などの諸要素があって、かなり面白い。物語性という点では "Quichotte" といい勝負。たぶん☆☆☆★★★は堅いところだけど、やや文学的深みに欠けるようだ。どこがどう不満なのかは、それがどう解消されるかを見てつまびらかにしたい。
(写真はエッフェル塔遠望。先月、オランジュリー美術館付近から撮影)

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