ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Susan Choi の “Trust Exercise”(1)

 イギリスに発注した "Real Life" が手元に届くまで、場つなぎに Susan Choi の "Trust Exercise" を読んでいた。その後しばらく中断していたがボチボチまた読みはじめ、数日前にやっと読了。ご存じ2019年の全米図書賞受賞作である。なかなかレビューを書く気になれなかった。さてどうなりますか。 

Trust Exercise

Trust Exercise

  • 作者:Choi, Susan
  • 発売日: 2020/02/06
  • メディア: ペーパーバック
 

[☆☆★★★] 始まりはたわいもない少年少女の恋愛物語だが、それは読者を書中に誘いこむ甘いワナ。さまざまな嵐が吹き荒れる青春小説の体裁を借りつつ、実際には虚構と現実のゆらぎの問題を提出したメタフィクションである。第一部の舞台は1980年代、アメリカ南部の街の芸術専門学校。暗闇のなかでのおさわりなど、演劇講座のカリキュラムを通じて若いふたりの関係が進むものの、これが上のワナ。生徒たちが演技上の自己抑制や、主観的な真実と客観的な真実の対比を学ぶところに後半への伏線がある。やがて時が流れ、第二部でメタフィクション全開。第一部はなんと、そこで登場した少女サラが後年に書いた小説であり、事実の省略や改ざんがあることをサラの友人カレンが指摘。こんどはカレンの立場から、彼女の苦い恋愛経験を中心に第一部の事件と人間関係が語りなおされる。さらに第三部ではカレンの娘が登場。紳士づらをした演劇講師の裏の顔が暴露される。文芸評論家パトリシア・ウォーによれば、メタフィクションの目的は「虚構と現実の関係について問題を提出すること」にあるが、本書の場合、自制と主客の分裂にはじまる虚実の混淆やゆらぎを通じて描かれるのは、恋愛や友情の深層心理にひそむ支配欲である。それなら通常のフィクションでもこと足りる題材であり、大山鳴動して鼠一匹メタフィクションの手法によって単純な問題が複雑化したにすぎない。「虚実の混淆やゆらぎ」から、たとえば善悪の相対性のような道徳上の難問にまで発展することのないメタフィクションは隔靴掻痒、いくら技巧的にすぐれていても文学遊戯の域を出るものではない。才女才におぼれた凡作である。