ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Marguerite Yourcenar の “Memoirs of Hadrian”(2)

 "To the Lighthouse" のつぎに表題作を読もうと思ったのも、きっかけはほんの偶然だった。洋書は著者のアルファベット順に書棚に並べているので、Woolf, Virginia のすぐ隣りが Yourcenar, Marguerite だからだ。"Oriental Tales"(1938)も気になったけど、Yourcenar の代表作といえばやっぱり "Memoirs of Hadrian" だろう。
 Hadrian(ハドリアヌス)は現在のイギリスにある例の長城で有名だが、それを思い出したのはなんと本書を読みはじめてから。開巻、My dear Mark とある、その Mark が哲人皇マルクス・アウレリウスを指しているとわかったのも、かなり読み進んでからだ。そんなわけで、すぐにひとつの疑問が浮かんだ。なぜ Hadrian なのだろう。
 巻末の Reflections on the Composition of Memoirs of Hadrian の冒頭にその答えが載っている。In turning the pages of a volume of Flaubert's correspondence much read and heavily underscored by me about the year 1927 I came again upon this admirable sentence: 'Just when the gods had ceased to be, and the Christ had not yet come, there was a unique moment in history, between Cicero and Marcus Aurelius, when man stood alone.'(p.269)
 つまり、大げさにいえば、本書は Yourcenar にとって歴史の空白を埋める作業だったわけだ。ぼくも実際、ハドリアヌスについてネットで検索したところ、長城の話を除けば、その生涯については、へえ、そんな皇帝だったんだ、と初めて知ったことばかり。少年愛でも有名だったらしいけど、それもぼくは初耳だった。
 と、そんな予備知識皆無に近い一般読者の立場からすれば、本書はあまり面白くない。調べるとほぼ史実どおりらしいのだが、その史実からしてフィクションの素材としてはパッとしない。詳細は省くが、要するに地味なのだ。逆にいえば、同じくローマ皇帝を扱ったシェイクスピア劇のような派手さがない。しかしこれは仕方がない。「シーザーにたいするブルータスやアントニーのような強烈な個性をはなつ敵対者」が実際、ハドリアヌスの時代には存在しなかったようなのだから。
 一方、本書が刊行されたのが1951年ということで、第二次大戦を思わせる記述がないか探ってみたが、みごとに空振り。上の Reflections にもこうしるされている。Keep in mind that everything here is thrown out of perspective by what is left unsaid: ..... There is nothing, for example, .... of the tremendous repercussion of external events and the perpetual testing of oneself upon the touchstone of fact.(p.272)
 結局、これは一面、ごくまともな歴史小説であり、「ユルスナールはあくまでハドリアヌスに深く共感しながら、その実像に迫ろうとしている」。いい換えれば、ぼくのようにハドリアヌスにさほど関心のなかった読者には、けっこうキツい作品である。
 では、「ハドリアヌスの内省録」としてはどうか。マルクス・アウレリウスの『自省録』と比較したいところだが、あちらは大昔、翻訳で拾い読みしただけでほとんど記憶にのこっていない。ただ較べるまでもなく、本書はパンチ不足。Strength was the basis, discipline without which there is no beauty, and firmness without which there is no justice. .... Strength and justice together were but one instrument, well tuned, in the hands of the Muses.(p.120)といったくだりを読むと、もっと突っ込んでくれ、といいたくなる。ソクラテスとの対話で「(支配者にとって)正義ほどに醜く害になるものが何かあるだろうか」などと述べるカリクレスほどに深く(藤沢令夫訳『ゴルギアス』)。 (下にアップしたのは新訳のようです)。

ゴルギアス (岩波文庫)

ゴルギアス (岩波文庫)

 

  本書が刊行当時絶賛されたのは、Wiki によると、どうやら歴史小説と(内省をふくむ)心理小説の融合という点にあるようだ。その融合が文学史上初めての試みだったのかどうか、不勉強につき、ぼくにはわからない。ただ読んでいて、Hadrian の心理が描かれることにまったく違和感はおぼえなかった。現代のヘンテコな小説を読みすぎているせいかもしれないけれど、少なくとも、本書はやはり「歴史心理小説」というジャンルの秀作として評価すべきだという気がする。史上初ならなおさらだ。どうでしょうか。