ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Kate Atkinson の “Life After Life” (2)

 本書がぼくの目にとまったいきさつは雑感に書いたとおりだが、いま検索すると、米アマゾンで星4つ(レビュー数141)、アマゾンUK でも星4つ(158)と、たいへんな人気を博している。この春の話題作であることは間違いないようだ。
 けれども、へそ曲がりのぼくは、当初から「ミステリアスな設定に、はたして必然性があるのかどうか疑いはじめ」、この疑問が解消されることはついになかった。それどころか、「パラレルワールドを提出することで、作者が何を訴えようとしているのか」、「実際はひとつしかない現実だからこそ、その中で生き、苦しむことにも意味があるはずだが、複数の現実のもとでは、その意味にどんな変化が生じるのか」と、なんだかミもフタもない〈そもそも論〉さえ持ち出してしまった。
 でもこれ、本書の根幹にかかわる問題ではないでしょうか。この点を無視して、「着想はおもしろいし、個々のエピソードもそれなりに楽しめる」という理由だけで高く評価することは、ぼくにはできない。
 ともあれ、ここに出てくるパラレルワールドの考えがどういうものか、そのヒントになっている箇所を引用してみよう。アーシュラは精神科医 Dr Kellet の求めに応じて、a snake with its tail in its mouth の絵を描く。それを見た医師はこう分析する。It's a symbol representing the circularity of the universe. Time is a construct, in reality everything flows, no past or present, only the now. (p.448)
 また、こんなくだりもある。'Time isn't circular,' she said to Dr Kellet. 'It's a ... palimpsest.' / .... 'And memories are sometimes in the future.' (p.456)
 ひょっとしたら、宇宙とは、時間とはそんなものかもしれませんな。でもまあ、ふたたび〈そもそも論〉を述べると、いったい、そういう時間の本質が人生とどんなかかわりを持っているのだろう。ぼくの見るところ、この点もまた、本書では最後まで解き明かされることはなかった。とすれば、上のような時間論は要するに〈疑似哲学〉、たんなる思いつきに過ぎないのではないだろうか。