ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“Dance of the Happy Shades” 雑感 (3)

 きょう、ようやく Eleanor Catton の "The Luminaries" が届いたが、こりゃまたなんじゃろかい、800ページ以上もある大作ではないか! 道理で注文をためらったわけだと思い出した。
 さっそく手に取ってみたところ、これは本腰をいれて取り組くべき作品と直感。ぼくのような通勤読書人にはちと荷が重い。ほんとに重く、持ち運びにも不便そうだ。過去には Nicola Barker の "Darkmans" [☆☆☆☆] など、おなじくらいの重さの本を毎日かかえて歩いたこともあるが、冒頭の数ページから判断するかぎり、"Darkmans" のときほど乗れそうもない。
 というわけで、これはもし栄冠に輝いたら読むことにします。そろそろまた職場が繁忙期に近づいてきたこともあり、いまのぼくには軽薄短小のほうが合っている。
 などと書いては座布団が飛んできますな。きのう引用した箇所からもわかるとおり、この "Dance of the Happy Shades" にはすこぶる濃密な世界が広がっている。
 特徴としていえることはまず、喜怒哀楽がストレートではなく遠回しに表現されていることだ。いや、喜怒哀楽という表現そのものがよくない。その昔、おそらくいい仲だったものと思われる男女が久しぶりに再会し、そこに微妙な空気が流れる。そう、まさに〈空気感〉ですな。雰囲気というと静かなイメージだが、二人のあいだにはそこはかとなく、しかし明らかに空気が流れている。
 それをきのうは「深い複雑な思い」と評したわけだが、この空気を察知しているのが男の娘という設定がまたいい。読者同様、娘も当然、父親と女がいったいどんな関係だったのだろうと思うはずだが、そのあたりの説明はいっさい省略され、父娘の「あうんの呼吸」だけが示される。
 やがて車で家路をたどる父親を見て、'I feel my father's life flowing back from our car ....' とひとりごちる娘。このくだりにぼくは、父親にたいする娘の愛情が読み取れると思うのだが深読みでしょうか。こんな短編を読んだと、うちのドラ娘に知らせてやりたいものですな。「ふーん」のひと言で終わりだろうけど。