ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Death in Venice" 雑感(5)

 Aschenbach が名声を博するに至ったプロセスのほかにもう一箇所、ヴィスコンティの映画ではおそらくカットされているものと思われるくだりがある。死の数日前、彼が夢の中で Phaedrus 相手に美学論をぶつ場面だ。ここもやはり映像では表現しにくいのではないか。
 Phaedrus とは、プラトンの『パイドロス』においてソクラテスが対話をする人物で、同書の副題は〈美について〉。例によって不勉強のぼくは未読。いまネットで検索したところ、岩波文庫に入っているらしい。
 それゆえ、ほんとうは『パイドロス』を読んだほうが理解しやすいはずだが、Aschenbach の美学論だけでも趣旨は、まあわかる。''For mark you, Phaedrus, beauty alone is both divine and visible .... we poets cannot walk the way of beauty without Eros as our companion and guide. .... we exult in passion, and love is still our desire ― our craving and our shame. .... we poets can be neither wise nor worthy citizens. We must needs be wanton, must needs rove at large in the realm of feeling. .... the crowd's belief in us is merely laughable. And to teach youth, or the populace, by means of art is a dangerous practice and ought to be forbidden. For what good can an artist be as a teacher, when from his birth up he is headed direct for the pit?' (pp.70-71) この結論として、beauty は we poets を 'intoxication and desire', 'frightful emotional excesses', 'the bottomless pit' へ導くものだ、となっている。
 一見、難解な内容のようだが、beauty を美少年と読みかえれば、これは Aschenbach の自己弁護、少年への愛の正当化、そして破滅の必然性の理由づけだと考えられる。つまり、「禁欲的な厳しい芸術生活を長年続けた Aschenbach がふと美少年を見かけ」、その姿に目に見えるかたちで「至高の美」を認め、「束縛のない美への愛にのめりこんでしまった」あげく破滅する。だから「趣旨は、まあわかる」。というのがぼくの解釈だが、ううむ、勘違いかもしれませんな。どうでしょう。
 ともあれ、芸術家として刻苦精励した Aschenbach は同時代の 'the poet-spokesman' ということである。それゆえその努力は、「産業革命を果たして国力を蓄えたドイツ帝国が、他の大国との軍事衝突に向かって少しずつ歩みはじめていた時代」のドイツ国民の努力と重なっている。
 が、人間、刻苦精励だけの生活に耐えられるものではない。どこかで休息が必要なはずだ。ちょうど仕事に疲れた Aschenbach が旅情に誘われたように。それなら、彼の日常からの離脱は、当時のドイツ国民の深層心理にあったと思われる、たとえば休息や慰安への願望を反映したものかもしれない。その旅先で彼が、それまでの禁欲生活とは対極にある 'intoxication and desire' の世界に耽溺したということは、勤勉な国民の日常的現実からかけ離れたところにある「危険な禁断の世界」の魔力を意味しているのかもしれない。そんな物語を読んだ当時の「賢い、りっぱな」ドイツ人は、一読、茫然となったのではないか。
 とまあ、ぼくは Aschenbach が 'the poet-spokesman' だったという記述から、どんどん想像をふくらませてしまった。だがもし、Aschenbach の芸術生活を描いたイントロだけでなく、全編を通じて「時代の空気」が反映されているとすれば、いささか理に落ちてつまらない解釈だが、以上のような見方も成り立つと思う。その「空気」とは、国民の現実と願望、さらには、現実と対極にある想像の世界。しかしその世界は、逆説的に現実を物語るという意味では現実の一部でもある。ふふ、考えすぎかな。
(写真は宇和島市天赦園。宇和島藩第7代藩主、伊達宗紀が慶応3年(1868年)に築庭)。