ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The Go-Between" 雑感 (2)

 この連休、午前中は「管弦楽組曲」をいろいろな盤で聴きながら〈自宅残業〉。ほんとは中島みゆきがいいのだけれど、今年はしばらくクラシックで行こう。ちなみに中島みゆき、「Singles」はBGM向きではない。「やっと恨みも嘘もうすれた頃 忘れられない歌がもう一度はやる」などと流れてきた日には、仕事なんてやってられません。
 「忘れられない歌」も遠くの声のひとつかな。宮下奈津の『遠くの声に耳を澄ませて』、ゆうべやっと読みおえた。ぼくのように長いあいだムダ飯を食っていると、いろんな遠くの声が聞こえてくる。中には、いまだに思い屈してしまうものもあり、耳の奥まで、つまり心はなかなか澄み切らない。だから、なおさら心にしみる本でしたね、これは。
 へえ、と驚いたのは、小学校の運動会で足袋をはいて走る話が出てきたこと。そういえば、そうでした。ただしぼくの場合、小学校ではなく幼稚園。駆けっこのとき、たしかに足袋で走った憶えがある。そんなこと、記憶の底にずっと眠ったままだった。
 懐かしい思いに駆られたのは "The Go-Between" も同じ。これは12歳の少年が夏休みに体験した事件の回想談だからである。なんだ、よくある話じゃないかと思いながら、つい引き込まれてしまった。
 物語は、主人公の Leo が52年前、1900年の夏につけていた日記を発見したところから始まる。この時代背景は、ひょっとしたら重要な意味をもつのかもしれない。The year 1900 had an almost mystical appeal for me; I could hardly wait for it: "Nineteen hundred, nineteen hundred," I would chant to myself in rapture .... the dawn of a Golden Age. For that was what I believed the coming century would be .... (p.20)
 つまり、20世紀は実際には戦争と革命の世紀だったのに、当初は a Golden Age が訪れるものと期待されていたとしたら……。Leo 少年の願望だけでなく、そんな風潮が当時のヨーロッパにはあったのかもしれない。
 とすれば、イギリスの名門校に通う Leo が夏休み、ノーフォークの田舎にある友人の家で遭遇した事件には、時代の先取りという意味があるのかも。
 などとアダシごとを考えながら、さて昼飯も食ったことだし、これから続きを読むことにしましょう。
(写真は、宇和島市神田(じんでん)川に面したお好み焼き屋さん。昔はもっと古ぼけていたはず。そのころ何度かお世話になった)