ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Signs Preceding the End of the World" 雑感 (1)

 ゆうべ、風呂あがりに桜木紫乃の『氷平線』を読了。やっぱり表題作がいちばん出来がいい。「experience の世界が中心だが、その中に一本、innocence の芯がしっかり通っている」と前に書いたとおりだ。
 何でもかんでも innocence と experience の対比だけで文学を読み解こうとするのはワンパターンでよくないが、それでもこの見方、そういう目でそう見ると、わりといろんな小説や映画はもちろん、ひょっとしたら音楽にも当てはまりそうな気がする。
 総論ばかり述べていてもラチが明かない。さっそく各論に入ろう。メキシコの作家 Yuri Herrera の "Signs Preceding the End of the World"(2009)を読んでいる。なかなかおもしろいけれど、まだよくわからない。
 前回まで駄文を書き連ねていた "The Go-Between" がとてもよかったので、〈これもオススメ本〉を米アマゾンで検索。本書の表紙がふと目にとまり、内容も確かめずに買おうとしたら、なんとすでに入手ずみだった。昨年の Best Translated Book Award(最優秀翻訳作品賞)受賞作である。
 このジャケ買いつながり、意外に当たりが多い。えてして「本は見かけによる」わけだ。本書の場合、まず表紙に Yuri Herrera is Mexico's greatest novelist. とのキャッチコピー。裏表紙には "Signs Preceding the End of the World" is one of the most arresting novels to be published in Spanish in the last ten years. なるほど、期待できそうですな。
 主人公は、アメリカとの国境近くに住むメキシコ人の若い女 Makina。母親に頼まれ、国境を越えたまま音信不通となった兄の行方を追って、自分もまた彼の地へ向かう、というお話のようだ。
 Makina は強い意志の持ち主で、バスの中でいたずらを仕掛けてきた少年を撃退するなどタフネスぶりを発揮。あちらの体験も豊富のようだ。が、兄を思う気持ちに純なところがある。つまり innocence をうしなっていない。さて、どうなりますか。
(写真は、宇和島市馬目木(まめぎ)大師。亡きホリカワのおっちゃんの家近くにある。由来は弘法大師にまつわるものだそうだが、昔はそんなこととはつゆ知らず、この裏山の崖から転げ落ち、目に土ぼこりが入って大変だった記憶しかない)