ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Signs Preceding the End of the World" 雑感 (2)

 本書を読んでいるうちにふと、月曜日に書いた "The Go-Between" のレビューにぜひ、こう加筆しなければならないことに気がついた。加筆前「子供は必ずしも善良ではなく、うぶな心にもプライドや自己顕示欲がひそんでいる」。加筆後「子供は必ずしも善良ではなく、うぶな心にも悪意やプライド、自己顕示欲がひそんでいる」。
 主人公の少年 Leo は、自分をいじめたワルガキたちに復讐すべく、呪いをかける。すると、その呪いが効いたせいかどうか、ワルガキたちは実際、事故にあって大けがをする。そこで Leo は黒魔術の達人という評判をとる。
 このエピソードをすっかり忘れていた。他愛もない話だが、Leo が百パーセント innocent であるわけではなく、こんな「悪意」もいだいていたのは重要な点だ。
 つまり、Leo にはふたつの葛藤がある。まず、「経験により傷つきながらも、少年の純粋さを失っていない」という意味で、innocence と experience の衝突。それから、上のような innocence と〈悪魔のささやき〉との同居。後者は、Blake の詩 "Songs of Innocence" と "Songs of Experience" に通じるものがあるようだ。
 ……などと考えながら、きょうは仕事帰りに、文化庁毎日新聞主催の〈独立書展〉を見るため、六本木の国立新美術館へ足を運んだ。同僚の作品が展示されているからだ。書道のことはよくわからないが、何であれ芸術を鑑賞することで、きっと自分の世界が広がることだろう。今年は上野にも何度か出かけようと思っている。
 帰りの電車の中で、"Signs Preceding the End of the World" を読了。最後、え、と驚いた。まだ先が続くものと思ってページをめくったら、なんとそのページでおしまいだったのだ。これはいったい、どういうことだろう。作者の意図は何か。
 ううむ。これから一杯やりながら、よく考えてみます。
(写真は、宇和島市元結掛(もとゆいぎ)の何とか公園。小学生のときに住んでいた貧乏長屋のすぐ近くにある。昔はもちろん、遊具も柵もすべて木製。その貧乏長屋に引っ越すまで住んでいた、さらに貧乏な長屋のまわりには公園がなかったので、こんなに狭い遊び場でもすごくうれしかった)