ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Look at Me" 雑感(3)

 去年の暮れあたりから、「innocence と experience の対立と融合」という問題に強い関心がある、と何度か書いてきた。文学上そんな問題が本当にあるのかどうか、文学史に詳しくないぼくはよくわからない。が、個人的には、そういう見方もありかな、という気がしている。
 文学だけでなく映画にも当てはまりそうだが、音楽の場合はどうでしょう。たとえば、前回ふれた「無伴奏」。ベートーヴェンの有名な言葉を借りれば、バッハという「大河」の主流のひとつが宗教音楽であることは、いまさら言うまでもない。が、その予備知識がなくても、ちょっと耳を傾けるだけで「無伴奏」には〈祈り〉を感じる、とまあ思うわけです。
 その〈祈り〉が神への祈りかどうか、ぼくにはわからない。上の知識からすれば、たぶんそうなんだろうけど、実感はない。そこで世俗的に解釈すると、この〈祈り〉とは、innocence が experience との衝突を通じて、なおも innocence でありつづけようとする意志じゃないかしらん。少なくとも、それがぼくには「無伴奏」の心にしみるゆえんです。
 やはり牽強付会を承知の上で、こんどは同じく前回述べた「タブラ・ラサ」。CDの解説によると、「アルヴォ・ペルトの音楽は、人間の持つ本源的な宗教性に支えられて」いるという。その真偽はさておき、そこに「この世のものとは思えない静寂、いままで聴いたことのない純粋な響き」があることは事実そのとおりだと思う。
 というより、まるでこの世の終わりに流れているような「純粋な響き」でしょうか。その純粋さはどこから生まれたのか。なぜそれが「聖なる時間の体験をほとんど失ってしまった現代人の心に新鮮な感動を吹き込」むのだろう。
 これまた、innocence が experience と悪戦苦闘した結果であればこそ、というのが私的見解です。これを論証することはできない。「無伴奏」も「タブラ・ラサ」も、引きこもりのように一ヵ月ずっと聴きつづけた当時のことをふりかえると、いまそう思えるだけ。
 これが中島みゆきとなると、歌詞とメロディー、あの声から説明は簡単ですな。初期のアルバムは、そう「臨月」くらいまでは、innocence と experience の葛藤が胸にきりきりと迫ってきて、とてもじゃないけど気楽には聞き流せない。「雪 気がつけばいつしか なぜ こんな夜に降るの」。
 あ、「寒水魚」を聴いていたら、これもBGM向きじゃありませんでした。「誰か 僕を呼ぶ声がする 深い夜の 海の底から」。ほんと、胸が痛くなる。
 あれま、看板に偽りあり。本題の "Look at Me" の話がなかなか始まらない。ヒロインの Frances は、ある医療機関の図書資料室に勤務しながら、同僚や医師たちをネタに小説を書いている。そのキャラクター作りが本書そのものにも当てはまるのでは、というくだりがあった。It was on those evenings, when I would stay with her [Alix] I would tell her until Nick came home, that I would tell her about the people in the Library, turning them into characters, making them broader and more extreme than I should have done had I been talking to my mother .... As I intended, in my new life, to dispense with shadows, I made them all very clear-cut, and found them much more amusing that way. .... it was a rehearsal for the workings of my novel .... (p.69)
 Nick と Alix は Frances がトリコになっている理想のカップル。その Nick 夫妻に Look at me. と Frances は心の中で叫んでいる。うん? それが「innocence と experience の対立と融合」という問題と、いったいどんな関係があるの? いや、その、鋭意分析中です。
(写真は、宇和島市元結掛(もとゆいぎ)の里山。ぼくの住んでいた貧乏長屋の窓から眺めると、だいたいこんな風景だった。ただ、昔は夜空に黒々とそびえる、「トトロ」に出てくるような大きなクスノキがあった)