ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Look at Me" 雑感(5)

 ずいぶん更新をサボってしまった。仕事が忙しかったせいもあるが、何より、いとこのノブオ兄ちゃんが急逝。もともとウツの気があるぼくは、さらに落ち込んでしまった。
 小さいころセミ捕りなどをして、一緒に遊んでくれたときのことが、まるで昨日のことのように思い出されます。そのお礼をいま、こうして突然申し上げることになろうとは、とても残念でなりません。ノブオ兄ちゃん、ほんとうにありがとう。
 電話口で弔電の文面を確認しているうちに、思わず目頭が熱くなってしまった。
 たぶん、それと関係があるのだろう、先ほどまでYouTube森田童子の「まぶしい夏」を聴いていた。ぼくは学生時代、三鷹に住んでいたことがあるので、玉川上水のいまの風景を画面で見ると、とても懐かしい。と同時に、昔とはどうもちがう風情に、何だかヘンテコな気分にもなる。
 YouTubeの音源を違法か合法か、ダウンロードする方法があることを発見。さっそく「まぶしい夏」をウォークマンにコピーした。ついでに、りりィの「心が痛い」も、こちらはちゃんと料金を支払ってコピー。
 りりィはその昔、コンサートを聴きに行ったことがある。会場はぼくのふるさと、愛媛県宇和島市の旧公会堂。夏の暑い夜で、りりィは途中、何度かペットボトルの水を飲みながら歌っていた。そのりりィもいまはこの世にいない。
 フォークソングの全盛期には、ネクラな歌手のネクラな歌が多かったが、中でも森田童子はピカいちだった。山崎ハコと双璧だろうが、ぼくは森田童子のほうが好き。「まぶしい夏」と、りりィの「心が痛い」、それから中島みゆきの「Singles」と初期のアルバムで、ぼくのネクラ歌曲リストはほぼ完成する。
 さて、前回述べた "Look at Me" についての「禅問答」。あれは要するに、"Macbeth" の有名なセリフ、Fair is foul, and foul is fair.「きれいは穢い、穢いはきれい」(福田恆存訳)ということかもしれない。
 Dostoevsky の "Notes from Underground" にもこんな一節がある。The more conscious I was of the good and of all this "beautiful and lofty," the deeper I kept sinking into my mire, and the more capable I was of getting completely stuck in it. (Vintage Classics, p.7)
 つまり、自分を「穢い」と意識する心の部分は「きれい」だが、その意識の対象はやはり「穢い」。同様に、the good や all this "beautiful and lofty" を意識するのは、それが何かを知っている「きれい」な心だが、それは同時に自分が「穢い」という自覚でもある。ゆえに、ますます mire に入り込んでしまう。Dostoevsky の作品には、たとえば "The Brothers Karamazov" の Dmitri のような放蕩者がしばしば登場するが、彼らの放蕩には、「きれいは穢い、穢いはきれい」という苦しい自覚があるのでは、というのがぼくの勝手な解釈だ。
 ひるがえって、"Look at Me" における innocence と experience の相克には、シェイクスピアドストエフスキーの作品ほどの深みはない、ような気がする。あともう少し、気を取り直して明日からまた読んでみます。
(写真は、宇和島市元結掛(もとゆいぎ)にあった貧乏長屋の大家さん、カメイさんのご自宅)