ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Ann Patchett の "The Magician's Assistant" (2)

 本書を読みだしたとき、たまたまリメイク版「ゼロの焦点」を録画で見たのがきっかけで、同書も久しぶりに読みはじめた。すると、2作とも最初は夫婦間の溝がテーマ。さて、どちらがおもしろいか、お手並み拝見となった。
 それから約2ヵ月。心に残っているのは、意外にも清張ミステリのほうだ。「意外にも」とは、タネも仕掛けもわかっていたのに、という意味であり、それほど清張ファンでもないのに、という意味でもある。
 "The Magician's Assistant" は基本的に家庭小説である。だからツマらない、とは言わない。ただ、「夫はなぜ家族のことを隠していたのか」という書き出しがいかにもミステリらしかっただけに、謎また謎を呼び、という展開のほうがおもしろかった。
 たしかに衝撃的な真相は示される。また例のハイライト場面もすばらしい。しかし、それは大団円に取っておくべきだった。つまり、「謎の提出→謎また謎→真相解明→最大の山場」という定石どおりの順番のほうがよかったのではないか。
 その王道を行ったのがもちろん『ゼロの焦点』である。ミステリだから当然の話だが、構成に破綻がなく、ミステリ以外の要素、つまり不幸な歴史と家庭の物語という余韻も強く残る。だからこそ、何度も映像化されてきたのだろう。
 一方、"The Magician's Assistant" のほうはハッピーな家庭小説だ。ハートウォーミングで大いによろしい。けれども、作品のなかばに圧巻シーンを置くというのは明らかに構成ミス。後半、Ann Parchett のことだから、まさか話を引っ張っているはずはない、と思いながらダラダラ読んでしまったが、引っ張ってはいないにしても計算違いだったわけだ。
 その点、最近キッチンで読んでいる『木暮荘物語』は、どの短編もよく考え抜かれていると思う。ユーモラスで心が温まり、人生しみじみ系でもある。ぼくも小泉今日子にならって、「あぁ、とっても好きだ」と言いたくなってきた。
(写真は、宇和島市神田川原(じんでんがわら)の旧称・土橋(どばし)付近から眺めた南側風景。右手の草むらは、ぼくの住んでいた貧乏長屋跡。左手の空き地には一時期、ニシカワの焼き芋屋さんがあった。ある寒い日、「ヒロくんにもあげて」とおばさんから2個もらったが、ぼくは誘惑に負けて2つともペロリ。「え、ぜんぶ食べたの」とバレてしまい、以後、二度とご好意にあずかることはなかった)