ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Ian McEwan の "On Chesil Beach", Lloyd Jones の "Mister Pip" と Cathrine O'flynn の "What Was Lost"

 8月7日にブッカー賞のロングリストhttp://www.themanbookerprize.com/prize/thisyear/longlistが発表されたが、どうも気勢が上がらない。
 まず個人的な話だが、来年刊行される予定の辞書の原稿書きに追われ、6月から読書量が激減してしまった。8月の後半からは、さぼっていた本職のほうも気になり、ますますペース・ダウン。この3ヵ月で読んだ本がたった3冊とは、海外小説オタクのぼくとしては、われながら信じられないほど情けない。
 閑話休題。上記のロングリストを眺めると、今年は昨年以上に知らない作家が多い。馴染みのあるのはなんと、イアン・マッキュアン(一般の表記はイアン・マキューアン)のみ。まだまだ勉強不足だと反省したが、ガーディアン紙http://books.guardian.co.uk/manbooker2007/0,,2142675,00.htmlなどの紹介記事を読むかぎり、あちらでも無名の作家が大半を占めるらしく、「今年のブッカー賞は低調」との寸評を見かける。
 そのマッキュアンだが、ぼくは4月に読んで次のレビューをアマゾンに投稿した。(その後、削除)

On Chesil Beach

On Chesil Beach

[☆☆☆★★★] 最近は流麗な筆致でテンポのいい長編を書いていたイアン・マッキュアン(という表記が正しいらしい)だが、本書は久しぶりに緻密な心理描写でじっくり読ませる作品だ。筋立ての面白さが売り物の大長編が多いなか、こういう小ぶりの心理小説に接すると実に新鮮で、星を少しおまけした。マッキュアン最上の出来とは思わないし、愛し合う者同士の断絶、男の欲望と女の自立心という主題も目新しいものではない。が、平凡な題材をこれほど手際よく処理し、読みごたえのある作品に仕上げる手腕はやはり大したものだ。たとえば冒頭、時代を伏せたまま醸し出される典雅な雰囲気。やがて新婚初夜に忍び寄る不安の影。そして何より、複雑精妙に織りなされる心のひだ。時に詩的なまでに純化される内面の描写がとてもいい。愛の断絶と言っても、たとえばロレンスの作品のように、火花が散るような魂と魂の激突があるわけではない。それゆえ深みには欠けるのだが、本来なら存在の根底にかかわる問題を扱って表面をなぞるだけで終わるというのは、現代の作家の通弊かもしれない。例によって才気あふれる文体ながら、英語の難易度は普通。電車の中でも充分に楽しめるだろう。

 …と書いたけど、これがオッズで一番人気の作品とは驚きだ。有名作家の作品だから、ということだろう。 "Atonement"のほうがずっとよかったんじゃないか。まあ、その"Atonement"にしても、初期の中短編ほどの密度ではなかった。マッキュアンは売れ始めてから、ずっと商業的に妥協しつづけているような気がする。しかも、この最新作程度の心理小説なら、いや、もっと優れた作品だって過去にたくさんあるはずだ。そういう過去の伝統は選考基準に入らないのだろうか。
 ロングリストのうち、上記の作品を除いて最初に読んだのは Lloyd Jones の "Mister Pip" だ。ハードカバーにしては安かったし、アメリカのアマゾンのブログhttp://www.amazon.com/gp/blog/A287JD9GH3ZKFY/105-0084135-7441243?%5Fencoding=UTF8&cursor=1187369496.713&cursorType=beforeで好評だったから。そのレビューもアマゾンに投稿(その後、削除)したので、ここに再録しておく。

Mister Pip

Mister Pip

[☆☆☆★★★] かなり面白かった。読みどころはまず、現実と虚構の混淆(厳密には混同ないし混用)が見られ、それが物語の主軸になっている点だろう。といっても、ここにあるのはラテアメ文学のマジック・リアリズムのような異次元の世界ではないし、実験的なメタフィクションでもない。時間も場所も伝統的技法に即して処理され、あくまでも現実の地平に立っている。それなのに、南の島でディケンズの『大いなる遺産』が朗読され、語る者も聞く者も、その周囲の者も、同書の主人公ピップとの接触によって人生が激変する。こんな形で虚構が現実にインパクトを与える過程を描いた虚構も、他にちょっと例がないのではないか。最初は普通の話に思えるかもしれないが、そこで綴られるエピソードも後で重要な意味をもつことが分かる。途中、前述の混淆がとんでもない結果をもたらすあたりから迫力が加速度的に増し、終盤は息もつかせないほど激しい展開。一気に読んだ後、人間とは何なのだろうと、しばし考えてしまった。その問題をもっと追求して欲しかったが、それは評者の勝手な注文かもしれない。英語は二級から準一級くらいで読みやすい。

 …最後がちょっと腰砕けかな。マッキュアンもそうだが、現代作家は本当に突っ込みが足りない。技術的には洗練されているのだけど、どうも骨太の大作家がなかなか見当たらない。とはいえ、このロイド・ジョーンズの作品、ショートリストに残ってもいいのではないか。『大いなる遺産』の本歌取りというか、ディケンズをうまく利用しながら独自の小説世界を作りあげている。その着想は賞賛に値する。最初の三分の一くらいまで事件らしい事件は起こらないのに面白い。島民たちがそれぞれ人生体験を物語るあたり、本筋から脱線しない程度に変化があって読ませるし、何より主人公の娘がピップにのめりこむ姿に共感がもてる。政府軍の兵士が来島してから事態が急変するわけだが、ぼくは途中、コンラッドの『ロード・ジム』やゴールディングの『蠅の王』を思い出した。するとテーマは人間の誠意か、それとも悪の問題か…と思ったらそうではない。『大いなる遺産』を朗読する不思議な男に着目すれば、これは結局、現実と虚構の混同や混用がもたらす悲劇ということだろう。が、男の正体が謎のまま終わるのは中途半端だし、「声」こそ人間の本質なのだという幕切れの主張も、ユニークな説ではあるが、さて実際、どんな意味があるのだろうか。前述の悲劇との関係はどうなのか。そう考えると、この小説はたしかに話としてはとても面白いし、とりわけ終盤の迫力は満点なのだけれど、さほど深く掘り下げて書かれた作品とは言えない。
 あと一つ、アマゾンにレビューを投稿(その後、削除)したのが次の作品。

What Was Lost

What Was Lost

[☆☆☆] 最初はわりと面白かった。探偵映画の大好きな小学生の娘がなんと探偵社を「開業」。ぬいぐるみのミッキー・マウスを相棒に、巨大なショッピング・センターで「監視業務」を始める。このあたり、少女らしい微笑ましい場面がいくつかあって楽しい。それがどんな展開になるかは、推理小説ファンならずともおおよそ察しがつく…と思っていたら、突然、話は二十年後に飛び、ショッピング・センターの警備員やCDショップの店員などが登場、それぞれの人物が経験した人生の喪失の記録が綴られる。その人生模様はまずまず読みごたえがあるし、それがやがて第一部の少女の物語と結びつくという展開も悪くはない。が、そんな喪失の歴史を読んでいるうちに、本書のテーマさえも失われているのでは、と思うのは評者だけだろうか。英語は準一級程度で読みやすい。

 …ペイパーバックで安かったから買ったのだが、これは駄作と言っていい。こんな作品がどうしてロングリストに選ばれたんだろう。イギリスでは好評のようだが、ぼくには何が言いたいのかよく分からなかった。中心は少女の失踪事件なのか、それとも警備員たちの虚無感、喪失感なのか。たぶん、少女が探偵ごっこに興じるうち、とんでもない事件に巻きこまれ…という定石を避けたのだろうが、結果的にその定石の変形に過ぎないし、そういう目で見ると、警備員たちの話が長大なダイグレッションに思えてくる。選考委員の眼識を疑ってしまう作品だ。
 ともあれ、明日はいよいよショートリストの発表日。これから本格的にブッカー賞の季節だ。