ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Michael Thomas の "Man Gone Down"(2)

 「個人の精神的危機、魂の試練をとことん描いたこの作品は、現代文学が文学として成り立つテーマと技法を端的に示した一例と言えるかもしれない」。レビューでずいぶん大風呂敷を広げてしまったものだが、失笑されるのを覚悟の上で、今日はこの点について細部を詰めてみたい。
 「個人の精神的危機、魂の試練」――何を今さら、というような古びたテーマである。文学史の勉強はサボリっぱなしなので自信はないが、ルーツをたどればカミュカフカなどの実存主義的な作品が該当しそうだし、さらには、キリスト教プラトニズムという絶対的な価値基準が揺らぎはじめた19世紀以降の作品、たとえばドストエフスキーの諸作にも上のテーマを読みとることができるかもしれない。
 まことに杜撰な「文学史」の要約だが、もしそんな見方が正しいとすれば、現代の作家がこの古びたテーマに対し、過去の大作家たちと同じような手法で取り組むわけには行かないことは明らかだろう。宗教的、道徳的、政治的、あるいは哲学的、観念的、寓話的なアプローチはもはや通用しない。もちろんヴァリエーションならいくらでも書ける。だが、それはしょせん二番煎じの域を越えるものではないはずだ。
 では今、この古い酒を詰める新しい革袋は存在するのだろうか。そんな問題をどこまで意識しているかは知らないが、多くの作家たちはどうやら家族との絆に焦点を当てているようである。具体的には、雑感(3)にも書いたとおり、Anne Enright の "The Gathering"、Joanna Kavenna の "Inglorious"、Joseph O'Neill の "Netherland" などの作品が思いうかぶ。やや毛色は違うが、Sue Miller の "Lost in the Forest"、Elizabeth Berg の "The Year of Pleasures" などもこの部類に入る。配偶者や家族の死、離婚、別居…現代人が強いストレスを感じる原因はどれも家族がらみのことが多いそうだが、ぼくが読んだ上の作品ではどれも、家族との絆を断たれた、あるいは断たれそうになった人間の「精神的危機、魂の試練」、そしてその超克が描かれている。
 そうした一連の作品群の中にあって、本書は相当に傑出した出来ばえだと思う。雑感やレビューの繰り返しになるので詳細は省くが、「凝縮された感情の美学」、「ハードボイルド型モノローグ」、「散文詩への昇華」、「静と動のコントラスト」など、ぼくが思いついたキャッチフレーズを羅列するだけでも、ここではさまざまな技法で古い酒をおいしく飲ませようとする工夫がほどこされていることが分かる。「音楽のうまい使い方」も一例だ。
 さらに言えば、人種問題、社会問題へと発展しつつ、基本的にはあくまでも個人の内面を深く掘り下げようとする姿勢がいい。この「マクロとミクロの視点の統一」、これも本書の美点のひとつである。
 それにしても、一昨年の "Out Stealing Horses"(Per Petterson)、去年の "DeNiro's Game"(Rawi Hage)、そして今年の本書と、国際IMPACダブリン文学賞はかなり高い水準を保っている。日本では恐らくマイナーな取り扱いしかされていないだろうし、この3作にしても商業ベースには乗りにくい作品かもしれないが、どこか奇特な出版社ががんばって紹介してくれることを期待したい。